わたしの今月の一冊 五冊目
こんにちはloiolです。
本、最近なんか読みましたか?
この記事も五回目を数えまして、前回、前々回とだいぶ読書体験に慣れつつあります。
コツと言いますか、ばーーって読んでいく中でポイントになる要点みたいのを見つけるスピードがあがった気がします。ここら辺で言いたい事はXXだな、って分かって、次の段落~ページ群などで、ここはXXだな、みたいな。理解度が早くなったというか、文字列からイメージが脳内でコンバートされる速度が上がったというか。
そういうのもあって、ますます読書が楽しくなってきた感じです。
この記事があるので、そろそろ次の本に手つけなきゃ、みたいのも、ズボラな私としては意識付けになってます。
できたら毎月やっていきたい所存です。
もし「わたしもやりたい」って事でしたらいつでもお声がけ下さい。
では、以下、今月分です。
ご参加いただきました皆様、誠にありがとうございます。
それから見出し画像は山さんによるものです。

本当にありがとうございます。魅力的な筆使いで描かれるお方なので要確認です。
以下、目次。
・かえれちゃん2002@し65aさん - 続 野草のたのしみ / 八代田貫一郎
・yocificoさん - 本を読むときに何が起きているのか(ピーター・メンデルサンド)
・ちゃんむぎさん - 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
・loiol - 「北新宿2055」 漢 a.k.a. GAMI
くぷ王さん
『人間臨終図巻』 山田風太郎
古今東西のさまざまな人物がいつ、何歳でどのように死んでいったかが記述されている。どの話も美談めかしているわけでなく、悲愴がっているわけでもなく、本当に淡々と一人の人間が死んだ時の状況を説明しているのが読んでいて落ち着く。
いつか死ぬのが怖い人、死について考え込んだことのある人にはぜひ一読してほしい本。人はいつか死ぬ運命なのだなぁという諦念と安らぎが得られますよ。
布団の中で寝るまえにパラパラめくるのにちょうどいい。睡眠というのは擬似的な死だなあと思っている節があって、そんな寝入りばなの気だるさにもよくマッチする。
ひとつひとつのエピソードはごく短く、好きなとこから読みはじめて止めることができる手軽さも良い。
かえれちゃん2002@し65aさん

続 野草のたのしみ / 八代田貫一郎
去年、横浜の展示を友人と見に行ったときに古本市で購入した本だったのだが、引っ越したら読もうと思っていてダンボールの整理をしたら出てきて思い出したように読みはじめた。
この本を手に取ったのは、なんとなくで、取ったときに中から切り取られた新聞紙の記事がでてきて植物に対する熱と命をこの本に感じたからだったと思う。多分、野草や花などの採取や図鑑なんて昨今の本の方がより近代的だからこの本はとても古いし研究も情報も今の方が新しいし本当は読む必要がなかったのかもしれない。
植物は昔から好きでした。祖父母の家には松の木と、ザクロの木があって、庭には椿と盆栽があって毎朝夕水やりをしたり剪定するのを見るのが好きだった。小学生の頃は生き物委員会に入っていたりした。その時から花や虫の図鑑を見るのが好きで、委員会の仕事でクラスのメダカに餌をあげたり、裏庭に花壇があって毎日水やりをして、すぐ近くのウサギ小屋の掃除をしたあと近くにあるライラックの木を観察するのが好きでした。地味な木だったし、裏庭が開放禁止になってからは誰にも見向きもされてなかった。大半の人は、校庭にある木ノ実が食べられる山ぶどうの木の方がすきで、それでもわたしはライラックの木が好きだったことを思い出した。
野草はこれはシダ科だな…とか、あ、アザミが生えてる!とかそれくらいの知識しかないわたしには正直難しい本を選びすぎてしまったかもしれない。けれど、この本は野草に詳しくない人でも入り込みやすいように丁寧に優しく文章が書かれているように見られた。
内容は新聞からの記事なので内容が短くて読みやすく、また著者の当時の植物と植物を愛する人間への優しさが伝わってくる良い本だと、わたしは感じました。
えこさん

海と毒薬/遠藤周作
大学4年の夏、大好きな祖父が死んだ。客観的にみれば死因も別れの瞬間も、そこに至る過程もなんら特別なものではなかったと思う。ごくありふれた、当たり前の最期だ。それでもわたしはあの夏の暑さをどうしても思い出せないし、思いを馳せると反射のように涙が溢れる。
人の死に、心が動かなくなるのが怖かった。看護学部にいながら看護師になる選択をしなかったことには、だから祖父の死が大きくかかわっている。病院で人が死ぬと、「またか」「あ〜 最近なんか多いですね」「そろそろかなぁと思ってた」みたいな声が聞かれる。実習中、ナースステーションで何度か見た光景だ。たぶん他意のない、ごく普通の看護師の反応だけど、祖父を亡くしてからふとそんな光景を思い出して身勝手に理不尽に憤慨した。誰かにとってこんなにも大きな意味を持つ死を、その一言で終わらせてほしくない。同時に、「人が一人死んだくらいで何?慣れなきゃやってられないでしょ。」と呆れるわたしもいる。今ごろナース服に袖を通し、病棟をものすごい速さで歩いていたかもしれないわたしだ。海と毒薬。人が死んでいく姿に痛みも苦しみも感じない己の心を、あの医学生は「不気味だ」と言ったっけ。同じようにはなりたくない。
人の死に、心が動かなくなるのが怖かった。それは良心に擬態したわたしのエゴであり、醜いだけの自己愛だ。引け目や後ろめたさを感じたことはなかったはずなのに、なぜだろう。読んだあと、ほんのわずかなあいだだけ、わたしはそんな自分自身をひどく嫌悪した。
遠藤周作が描く、「誰の心にもあるけれど、言及したくはない部分」みたいなものは本当に寒気がする。沈黙を読んだときもそうだった。奥底に沈殿させておけばよいものを、わざわざ掬い上げて突きつけられる。でも、だからこそ、いつの時代にも読まれていてほしいと思う。向き合って苦しんで、わたしたちがなにを得るのかはわからないけれど。美しい詩ややさしい物語だけで生きるには、あまりにも厳しい世の中だ。
yocificoさん

本を読むときに何が起きているのか(ピーター・メンデルサンド)
本を読むときに私たちは単語の羅列をひとつひとつとらえているわ
この本は3cmもの厚さがあるがひるむことはない。
ちゃんむぎさん

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
最強の柔道家と言われた木村政彦という男がいた。力道山と戦って破れた男として知られているが、実はこの試合にはブックがあり、力道山のブック破りによって木村は負けたのだという前提のもと語られる。タブー視されていた格闘技界世紀の謎に迫るドキュメンタリーである。
木村政彦サイドに立ちながら淡々と第三者的に語ってるわけではなく、作者の主観、私情がかなり混ざってきてるのが、アツい。
木村政彦という人のことははじめて知ったけど(歴史的に地味な扱いをされているのはその名前のせいではないかと巻末の解説で板垣恵介も言っている)、こんな漢(おとこ)がいたのかと衝撃を受けた。
師匠の牛島辰熊がまずすごい。この「島」を除いて強そうな動物で構成された名前の柔道家は板垣恵介の「強い奴は強そうな名前でなくては」理論にも適っているし、漫画「ゴールデンカムイ」の牛山辰馬のモデルとも言われており、フィクションの世界からも愛されているキャラクターだ。
鬼の柔道と言われ、徹底的に寝技を鍛えた牛島は第一の弟子である木村に自分の技の全てを継承していく。やがて、木村は牛島が果たせなかった悲願の天覧試合で優勝を果たし、事実上日本一の柔道家となる…。
そんな最強の男、鬼の柔道を背負う男がなぜ力道山に負けたのか、というのが本書の大筋である。
のだが、なにせ上下巻というボリュームだし、ほかにもトピックが多すぎて壮絶としか言いようがない人生を歩んでいる。
天覧試合を果たした後、戦中には牛島の東條英機暗殺計画に巻き込まれそうになるし、 戦後にはブラジルへ渡り、グレイシー柔術の創始者であるエリオ・グレイシーと死闘を繰り広げ、木村がエリオの腕を折って勝利を収める。木村の名はグレイシー一族に代々語り継がれることになる。
プロ柔道の失敗、師匠牛島との確執、そして次の世代の育成のために再び柔道界へ…。
上下巻どこを取り出しても血湧き肉躍るエピソードの連続で一気に読んでしまった。
もちろん信者によって伝説化されてるところもあるかもしれないし、力道山サイドからはまた違うことが語られるのかもしれない。 しかし、こうして語っていくことでしか歴史には残らないのだから仕方ない。
遠くて近い、現代に続く昭和史の一側面としても面白く読めた。
オさん

冒頭で、これは惚気ではないと作者は述べている。
特に好きな章をいくつか挙げたい。
夫の魅力が減るということ。
片面ずつしか焼けない旧式の魚焼きグリルで
魚が焼けるのを、じっと見つめる彼女の夫。
彼女はその姿が魅力的だと言う。
しかし、後にそれよりも高スペックなグリルが
届いて、夫の魅力が減ってしまったという話。
自分と彼女の夫の仕事について。
それぞれが、誰かのために仕事をしていない。
少なくとも作者は彼女の夫に、〝私(家族)
自分が家族の経済のために頑張ろうと思いながら仕事をしたら文を
だから彼女は夫には自分自身と社会のために有意義に働いて欲しい
これには閉口した。
ジューイというゲーム。
二人で考えた二人にしかわからない二人のためだけのゲームがある
不躾ながらこう思った。なんてエロいんだろう?
その話の最後では夫側の方がゲームに飽きて「やめる」と言う。
そこに再び彼の人間的な愛嬌を感じる。
彼女に言わせると彼女の夫は、高収入でもなく、
しかしそんな世間一般の人々が羨み目を向けるような男性なんて問
この夫婦生活は、
世間一般に通じる普通の言葉を、二人だけのものにするような、
誰にも理解され難い、邪魔され難い、彼女らだけのもの。
冒頭で、これは惚気ではないと作者は述べている。
これは惚気以外の何物でもない。
究極の惚気話を聞かされることになった。
aさん

boys don’t cry / 田口賢司
小説を書いている「僕」と、「ともだち」、そのふたりを取り巻く女の子や男の子やどちらでもない子たち。
日常というには退廃的かもしれないけど、どこで起きていてもおかしくないから日常でいいんだと思う、楽しくなるドラッグや朝まで人が踊るクラブ、車で海まで走ったり、高速道路のランプをシャンデリアと呼んだりする。女の子の夢の話、家族の話、ただの噂話。誰かと電話を繋ぎながら、聴きたい音楽を探して、電話を切ってもそれは見つけられない。そんなこと。好きでも嫌いでもない人と過ごして、もう二度と会えないだろうなあと笑う。「免疫としてのさようなら」。
何の変哲もない日常が思い返せば小説のようだったと思うことは多々ある。当たり前のことでしょ。「小説のよう」変なの。小説には作り込まれた「ふつう」で「つまらない」日常があるのに。そういう風に自分の人生を俯瞰で見て物語やドラマや映画のように仕立て上げること、そうでなきゃやってられないと思うこと、それはきっとふしあわせなこと。
『しあわせだったら小説なんて書かずに済むわ』
自分を、自分じゃない誰かに見立てては、誰かの口を借りて、わたしたちは言えなかった言葉を口に出す。誰かの腕を借りて、抱きしめられなかった誰かを抱きしめる。そんなことで救われるはずがないことは分かっているのに。
『彼女』は言う。
「ねえ、”たいしたこと”って何なのかしら?どんなことが”たいしたこと”なの?”たいしたこと”なんて何も無いんじゃないだろうか?って。だけどすぐにそんな考えは打ち消すわ。人生を楽しくするより退屈にする方がずっとずっと簡単なのよ。」
その通りだと思った。
泣くこと笑うこと怒ること喜ぶこと悲しむこと全部、莫大なエネルギーを使う。それが他人に対してでも自分に対してでも。でもそれにつかれて、何も感じなくなる魔法をかけてしまったら、その魔法が溶けた時きっと、吐き出すように物語を書くんだろうと思う。今のわたしがそうだから。退屈だから。本当は魔法なんてかかっていなかったから、何も無かったことに出来たわけがないのに何も無かったことにしていた。いまになって、あんなこともあったこんなこともあったそう言えばそれは悲しかった苦しかった、そしてその行き場のない何かを、可視化出来ない腕や唇にぶつけている。
なりたいかなりたくないかの話は別として、わたしが文章を書かなくなったら多分その時はしあわせとかいう状態に近いのかもしれない。
loiol

ヴァイナル文學選書.. 新宿歌舞伎町篇.. 東京キララ社..
MC漢の小説が出る、とツイッターで見かけたのは、発売日の数日前だった。
電子書籍で買おうと思ったら、特定の本屋などでのみの販売との事だったので、発売日の予定を調整し、当日、新宿紀伊国屋書店に出向いた。
生まれも育ちも新宿の私だが、平日開店直後の紀伊国屋に足を踏み入れたのは初めてで、なんなら街全体がまだ眠っているようだった。
店員さんにツイッターの画面を見せると、メインのフェア的な場所に並べられている場所へ案内された。
本じゃなかった。
透明のビニールに銀色のシール、白黒の写真、ほんのり薄クリーム色っぽい紙の束。
本屋を出て、信号待ちしてる時に待ちきれず開いて中身に目を通す。
ページは閉じられていない。
バンド「THUMB」のCDアルバムの歌詞カードを思い出す。
紙には、ふたりの人の会話がつづられている。
2028年生まれの方がインタビューをされているとの事で、近未来小説だと分かる。
今から10年後に生まれるその人がハタチになったら2048年。
信号が青になって、改めて新宿を見渡す。30年後はどうなっているか。30年前はどうだったか。
聞く側と語る側の無骨な会話文を読んでいると夢野久作のドグラマグラを想起する。
前科(マエ)、などの用語が散りばめられる。
HIP HOP的な価値観でいう所のリアルさとかビーフ(諍い)、或いはコミュニティの意義と在り方、またそれにまつわるリスペクトの意味合いなどの要素が絡んでくる。
MC漢を中心に2000年に新宿で結成されたヒップホップグループMSCについて、過去の彼の著作やネットで読めるものはあらかた読んだのだけど、こういう哲学によって成り立っていたのではないか、というエッセンスが読み取れる。
人によってはおかしな連中という見方もされたはずらしいが、作中ではそれがそのまま街、エリアごとそういう価値観で成り立っている。
そこに属さない者からすると異様かつ不可解だが、当の本人たちは見えない絆、あるいは鎖でガッチリ繋がっている。
おかしいのはどちらか。理不尽なのはどっちか。
少なくとも彼らは特にそれを他に強要するよりは、自らに根差した哲学を全うするまで、という風である。
インタビュアーはその特異さにあれやこれやと詮索、また異議を唱えようと試みる。あたかも正義は自分側にあり、かつ不穏分子を追い詰めて血祭りにあげようとするように。
ラップバトルで「スタイルウォーズ」という主義の異なるスタイル同士の戦いを形容する単語があるが、それの拡大版、規模でいうと第二次世界大戦時にフランスで起こったレジスタンス運動を思わせる。
どうあれ体制側は反対勢力を静かに鎮圧/解体し、元から無かったものとしようとする向きが歴史的にある。
支配する者とされる者。
相手と争って暴力的に痛めつけて蹂躙する、という事ではなく、あくまで自分の哲学に基づいた在り方を確立し成り立たせる事で、盲目的に従順する事、或いは良いように搾取されてしまう事を遠ざける、という主題がそこにあるようだ。
個々がそうした自己確立の精神を持たない場合、みなが無責任に集団あるいは国というものにぶら下がりもたれかかる事で、その在り方の脆弱性は益々高まる..
といった気概に基づいて現代社会に冷や水を浴びせかけるようなテキスト。
クールで重厚でヒリつく様なビート、といった風だが、それが新宿という雰囲気にたいそう合う。
2055年という未来感も新宿っぽい。
MC漢の半自叙伝も読んだ事があるのだが、このお方は文もきっちり面白い。
むき出しっていうよりタイト。リアルなんだけど単純じゃなくて一筋縄じゃいかない。タフだが大雑把じゃなく繊細。不機嫌そうだがどこか郷愁的な暖かみがある。
2055年の北新宿には、とっくに廃れたと思っていた義理人情、詫び寂びがいまだに粋に息づいている気がする。
という感じです。
今回も色んなタイプの本でバラエティ豊か、古いのも海外のも、一年間で一体本って何冊出るんでしょうか。
くぷ王さんの、著者のお方って割と有名なお方ですよね、忍者的な時代劇ものをたくさん書いてるお方だった気がするけど、本作はどっから読んでもおk系ので、こういう本ってたまに出会うんだけど、こういう本を表すジャンル名ってあるんですかね?私が今まで手に取ってきた本を思い返すと数冊こういうのがあって、読みやすいんですよねこういうの。スルメ的な面白さ、それからこれを起点にもっと詳細を自分から求めていくきっかけになったり。寝る前に合う、との事で、寝床でスマホで何となくまとめサイトを見る、みたいのに近いかもと思いました。
かえれちゃんさんの、植物についての本、っていうのがまた新鮮で絶対今まで知らなかった気づかなかったような事がたくさん詰まってそう感がすごい。あとどうも新聞の記事だったものが集まった系の本っぽくて、くぷさんのと似てるどっから読んでもおk系っぽい。私が過去手に取ったのは子どもの詩ばっか集まったやつで、そういう系って元々記事として選出されたやつばっかなのでどれもこれも質が高かったりして精鋭たち感が良いですよね。古本市でゲトるっていうのも、そういう入手法確かにあるわ~っていう。前の持ち主から流れて自分の手に来たってのも感慨深い気がします。
えこさんの、遠藤周作って私も一時期ハマってた時があって、中古本屋さんで割と出回ってる印象があるっていうか、本はあまり読まないけど遠藤周作なら読むっていう人、今まで結構見てきたので遠藤さんの力に私は一目置いている。といっても明るいエッセイと、あとこち亀で遠藤周作の顔マネしてるギャグの印象しかないので、今回は死っていう重めのテーマの本なんだけど、えこさんはどうも医療関係者として普通よりもっと死が近くにあるってので、そういう人の感想がこうして読めるのはなかなかレアだと思う。それにしてもタイトルの意味はなんなんだろう?
yocificoさんの、これも結構どっから読んでもおk系だし、もしかしたら小学生でも大人でも読める系の柔軟なやつっぽい。イメージってものが頭で、感性でどう処理されるのかっていうのはどうしても抽象的になってしまうけどこういうアート的なアプローチで解明しようとすると割とデジタルな感じになって下手な脳研究者の説明よりよっぽどスッと分かり易かったりする気がします。装丁家、っていう言葉があるのも新鮮だけど、でもよく考えると「良い本だなぁ」って思った時、割と誰が装丁してんだろ?ってその名前をチェックする事ってありますよね。大体知らない人なんだけど(私が知らないだけかも)。
ちゃんむぎさんの、何か2ちゃんスレだかwikipediaをさまよってた時に読んだ事のある人だったけど、まさかこんなボリュームで本になってるとは知らなかった。伝説的な人で、どこまで本当で、どういう視点で語られた話なのかっていうのが気になるけど個人的には「そうであって欲しい」っていうエッセンスがちょっとだけ混じってる方が受け手としては面白く感じると思うし、歴史以上の人物もそういう感じをベースに祭られたり神格化されるのかな関羽とか、みたいに思う。これだけハイテクな時代になるとこういう伝記の在り方も今後変わっていくのかなあとか。
オさんの、名前だけ知っている人だけど内容は面白そう。これもどっから読んでもおk系っぽい。エッセイとポエムの延長線上にある場合、基本一回一回が独立しててそういう本って読みやすいし一粒ずつが味めっさするし、全体で一つのストーリーになってるし、映画感ある気がする。結婚相手の男性って今、基本的にかわいらしい存在なんじゃないかと思う。頼れるとか、守ってくれるとか、引っ張ってってくれる、とかそういうのはもはや求められていない時代にあるんだと思う私たち全体が。そういうリラックスした愛の目線で語られるエピソードは読んでるこっちの心の筋みたいのをほぐしてくれそうに思う。
んで、私のは、見た目がもはや本じゃなかったし、あと売ってる場所が限られてるっていう、電子書籍ならスマホで検索してポンと買えるのに比べて不便なんだけど、その不便さが面白かったまず。で紙を一枚いちまいめくっていく、っていう行為も体験として新鮮で、あとはラッパーが書いた小説を読むのが初めてだったから色々刺激的だった。MC漢はフリースタイルじゃない曲としてのラップでは矜持というか、哲学よりもっと実用的な啖呵を切るのが上手な詩人だと思ってて、その雰囲気十分の作品だったのでかなり満足した。私がめっさファンだっていうのもあるかもしれねぇが。
と、
この記事の一回目の時の「本好き度」が10だとしたら、今は2700って感じです。
kindleってのを買ってガンガン読むスピード上げようかな、って思ってるんだけど、やっぱ紙の本の方が良いですよね。ぱらぱらってめくれるし。あと装丁を楽しむ、っていうの割と大事だと思う個人的に。
是非みなさんの感覚も共有してもらえたらもっと楽しいなと思っておりますので、もし感想寄せてもよくってよ、というそこのあなた!
是非ツイッターで私めにコンタクト下さって下さいな。
ではまた。