ロロイさん-喫茶 むぎ子の部屋 第10回


mugiko10
喫茶むぎ子の部屋はインターネット上にある小さな喫茶室です。毎回ゲストをお呼びしていろいろなお話をしていきます。今回でなんと10回目となりました。ゲストはわたしとコートを共同主催している、おなじみロロイさんです。
インターネット上を揺蕩う守護天使、ロロイさんと今回は往復書簡的におはなししてみました。

むぎママ
ようこそいらっしゃいました。
まずは自己紹介をお願いします。

ロロイ
ロロイです。文や音楽を制作しているか弱き存在です。

ロロイとして

むぎママ
ロロイさんとこうして改めて対話するのはやはりなんか緊張しますね…。

ロロイ
そう言われるとそうですね。さもまんから今までコート、カシス等お世話になってきましたけど常に議題を介しての交流でしたし..

むぎママ
ですよね…。ロロイさんのことをもっと知りたいけどこのままの距離感でいたい、って気持ちもあるんですよね。
田島ハルコさんとニャプさんのライブに降臨して「よかったです。マンコティックって感じで…」という一言を残し風のように去っていったという噂を聞いたこともあるんですが、現実にロロイさんと会おうと思えば会えるんじゃないかって思うけど、会わないでこのまま謎の部分を残しておきたいって気持ちは強いですね。

ロロイ
現在進行形で神隠しに半分あっている..というか、シュレーディンガーの猫じゃないですけど「存在してるかも、してないかも」っていう二つが重なりあった状態でいるのって面白いと思うんです、私を認識してるお方も無論私自身も。で、その結論を紡ぎだす時、観察者の役割が重要なキーだったりしますよね。そこで演繹法か帰納法で正体が炙り出されるとしても、その前提とか観察事項は私が提供するだけではないってのも面白いなっていう..憶測大好きっていう。そういう風に存在できるのがインターネットを介したコミュニケーションの醍醐味だと思うので、仰って頂いた様に「ゆらいで」頂けるのは存在冥利に尽きるという思いです。

むぎママ
ロロイさんはインターネットにおけるゴーストのような存在として、最後の砦って感じがします。その最後の砦をそのままにしておきたいっていうのがありますね。
わたしは逆にネットの知り合いと実際に会ってお話することもままあるのですが、その時に共通のフォロワーさんとロロイさんのうわさ話をしてるんです。そういう時、インターネットと現実の境界がゆらぐというか。都市伝説っぽさというか。

ロロイ
ありがたいお言葉です。何十年も前の外国の小説家とか、素性が全然分かんなかったりするじゃないですか。下手したら性別さえ定かじゃない。そういうのって面白いなって思ってたし自然の成り行きで自分がそういう風になりつつあるというのも数奇だなって嬉しいです。数奇マニアなので..あとはここまで来ると色んなロロイ像みたいのが出来上がっていてもちろん現実の私はぴったりそれ通りな訳じゃないので会ってもがっかりするだろうなと。そういう分かってる答え合わせをするのは不毛とも考えます。幽霊は枯れ尾花ですから。

インターネットと自分の距離感

むぎママ
喫茶むぎ子の部屋ではこれまでゲストでお呼びした方のバックグラウンドとか個人的なことやパーソナルな部分を掘り下げることも多かったんですが、ロロイさんはずっと昔からTwitterでフォローしてるにもかかわらず今だにパーソナルな部分が謎に包まれている人というイメージです。
わたし自身も、ロロイさんの個人的な部分というのは知りたいようで知りたくないというか、ロロイさんの生の部分を知るのは怖いというか、それは違うなという風に思っています。
インターネット上でミステリアスな部分を残し続けるということに何か理由というかポリシーはあるのでしょうか?
ロロイ
発信したい内容が創作物だった、に尽きます。私のパーソナルな部分よりも作ったものを見て欲しい、別の言い方だと創作物に比べ私のパーソナルな部分なんてちっとも面白くないのです。

むぎママ
創作物の発表の場としてインターネット上をメインにしているのもパーソナルな部分と切り離したいのが理由ですか?

ロロイ
ある程度の距離と見えない部分ってのがスパイスになると思うんですね。好きな音楽アーティストのパーソナルな部分が見えすぎると曲好きだけど人間的に何かやだな..ってなる時あるでしょう。見えない分、受けとる方は色々想像できるし。あとネットって時間と場所選ばないのが好きだし。あとは皮肉じゃないけど、顔が良いけど作品別にって人が顔が良いから人気出たりするのってダサいし、分けたいですねネットとリアルは。ファンタジックなものを創作してるなら尚更。

むぎママ
わたしもインターネット上であまりに個人的なことばかり書いている人って作るものがよくてもちょっとウッ…ってなって遠ざけたくなることがあります。
その一方でブログやtwitterで個人的な思いとか出来事を綴るのが上手な人もいて、嫌味なくやってる人に対する憧れもありますね〜。

ロロイ
分かります。まあ上手過ぎても鼻につきますけどね。気取るのもいい加減にしてっていう。発信者で結構オピニオンリーダー的に見える人でも結構フォロワーに媚びてるっぽい人多いですね。人間はか弱いし否定はしないですけどそれによって段々面白さが削がれていくのも目の当たりにしますし..

むぎママ
確かに…。媚びが透けて見えるとダサいですよね。おもしろ系の人が一度ウケたツイートと同系統のツイートを頻繁に繰り出すようになった時とか…。
そういう下心含めてキャラとしていいなって人もいますけどね。下心なんてないわよってすまし顔の人の方が鼻につきますかね。やっぱり。

ロロイ
歌のサビを繰り返すのは気持ち良いからだから、つい私も繰り返しちゃう時あるんですよね。みんなにスルーされても繰り返す。これは個人的な趣味の領域としてのツイートの仕方ですけども。まあ媚びるのダサいけど、私が「ロロイニャーン」って「ニャーン」ってつけたのも媚びたいからなんですけどね。ただ悪ふざけとしての媚びであって、あえて媚びるのもなんかばかばかしくてイイかなみたいに自己肯定してたりするんですけど、なんか..そうですね同じ行為でも鼻につく人とそうじゃないのがいます。どっかマヌケな所がある方が許せる気がしますね。そのマヌケ具合が鼻につく人もいますけど。

むぎママ
ロロイさんのツイートに関してはベースに「あえて」を感じますね。

ロロイ
これ言ったら嫌われるかもだけど「あえて」言う。ダサいけど「あえて」やる。みたいな。

むぎママ
「あえて」は自分を俯瞰できているからできることだと思うんですよね。許せる人と許せない人のジャッジには色んな要因があると思いますが、ロロイさんに関してはそこでしょうか。

ロロイ
大別すると3種類のツイートをしていて、一つはその「あえて」言ってみる。次に何かの疑問。最後に言葉の響きが好きなもののメモです(歌詞とか)。「あえて」に関しては、特にそれ言ったら嫌われるかもなってのはさておき一回言ってみたいんですよね。「このあばずれが」とか。別に誰の事もあばずれだって思ってないんだけど、なんかウケるんですよねあばずれって言葉が。あとわざと超失礼な事言うとか。別に誰かが嫌いなんじゃないんだけど、「そういう失礼な事いうのが面白い」っていうか。勘違いした人からaskfmで「偉そうに!」って怒ってきますけど、誤解させてごめんねって思うけど、同時にそれも含めてウケる。基本的にばかばかしいもの大好きで、本当にばかばかしすぎて周囲からは「無意味過ぎる」って昔から言われてるんですけどやめられないですね。

インプットとアウトプットすること

むぎママ
ロロイさんのtwitterでの発言やキャラは意図的にというか、自覚的に演じているといいますか、本心の部分をコーティングしているように見受けられます。

ロロイ
ツイッターは作品作りの為のブレインストーミングの場と考えてます。だからあまりかしこまらずノリでテキトーに面白いと思うことをある程度独りよがりでも下品でも極端でも全部詰め込んでます。そうすると熟成されるというか、キラって光るものがあるのでそれを掬って作品に注いでます。だから全ツイートが私の本音だと思ってる人からは色々私の人間性とか誤解されるけどそれは二の次です。

むぎママ
ブレインストーミングありますね。アウトプットだけどきちんとした形に整える前の手前の感じ…。
ツイッター上での他の人の発言に影響されてそこからイメージを膨らませることもありますか?

ロロイ
たくさん良い影響頂いてますね。インスパイアされて自分なりに加工する事も多々ありますし。一人で大喜利してる感じかもです。ただ語弊があって、ブレインストーミングはとりあえずなんでもかんでもってのが前提ですが、私はフォローする人をあらかじめ選んでそのTLの中からお題なり材料を得ているので厳密には作為的ですね。できればもっと色々たくさんの人を目にしたいんですが時間が限られてる以上、致し方が無いのが現実です。

むぎママ
ツイッターや、最近のネットサービスは自分の興味ある界隈をフォローするというのが前提となっているので、自分で作った文脈に情報が左右されるというのはありますね。でも、ロロイさんはすごく器が広いと思っていて、わりと雑多になんでも一回受け入れて、良さを理解しようとされてるなと。なんというか、まず理解して、良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか二の次というか。

ロロイ
好きとか面白いとかと同等に心惹かれるのが「未知である事」なんです。だから知らない事なら鉱物の成分でも、縁もゆかりもない町の歴史でもなんでも良いって感じですね。wikipediaを延々と見てしまう人って多いと思うけどこれは「ネットに情報めっちゃあって面白い」みたいな純粋なノリですよね。あと飽き性なので常に何か無いかなって探してしまう..知的欲求依存症だと思います。

むぎママ
最近は『良いキーホルダー大会』や『良い部屋飾り大会』のような企画もしていますが、これらはロロイさんにとってどんな位置付けなのでしょう?

ロロイ
裏切られたいんですよね現実に。自分一人で現実と向き合ってるとどうしてもフィルターがかかって情報がせせこましくなる。それはどのツールを活用しても、ネットサーフィンしても本屋を巡って街を歩いても、私が私である限りは目に入ってこないものがある。それを見てみたい。そうするには私一人じゃ無理で、それで皆様の知見のシェアをお願いさせて頂いているという。ツイッターは良いツールだけど自然発生する流れには限界がありますからこうした手を加える行為は必要かなと思います。無論誰が一番かなんて決めたいみたいな低次元な試みではないのは言うまでもありません。

むぎママ
雑誌の一人暮らしのお部屋拝見特集とか、カバンの中身見せてなコーナーを感じまして、一連の大会すごく楽しいです。zipperとか、青文字系雑誌っぽさですかね。
それに、インターネットって面白いものとかかわいいもの知ってる人いっぱいいて、その人たちの「良い…」っていうものをまとめて見れるっていうのが純粋に楽しいです。

ロロイ
簡易的な図鑑、みたいなまとめられたものの良さっていうんですかね..それこそそういう雑誌の付録とかで小冊子にみっちり情報入ってるのとかあると思いますけど、あとはカタログというか。眺めて嬉しいしそもそもそうやってコンパクトに小品として存在してくれてる事の..純度ですかね。ときめきますね。あとどんな良いモノでも自分からみてみてーって見せびらかすのってちょっと憚られる所あるし、インスタグラムが「写真をみせびらかしていいんだよ」っていう前提を掲げたからみんな気楽にやれるでしょう。そういう気恥ずかしさの肩代わりをして最後の一押しをしてあげてあとは利用者が思った通り参加できる、っていうのがネットサービスの役割じゃないのかなと思います。

むぎママ
それと、このような試みにもロロイさんのやさしさとか、キャパの大きさみたいなのを感じますね。みんなの好きなものを教えて欲しいし理解したいし受け止めたいし…みたいな感じを勝手ながら感じてます。そういうところが人を惹きつける一因かなとも思います。

ロロイ
同じ趣味趣向の人と群れる事で得られる事は勿論たくさんあるんですが同時に見逃してしまっている事もあると思うんですね。できるだけ異文化にも目を向けたいし、それならみんな一緒にやったら楽しさも何倍にもなるんじゃないかなって。でもいきなり全然知らない人だとちょっとアレだからこじんまり、知り合いの知り合いくらいまでなら変なごたごたも無さそうだしっていう。こう..勘違いかもだけど、個々人でこんなのあるよ、ってツイートしてる人ってどこかうずうずしてる気がして。そしたらたまにはちょっとした町内会くらいのノリで寄り合いみたいのをぱーっとやってもいいんじゃないかなって。

むぎママ
ロロイさんのaskfmの回答も面白いですよね。あれだけでもひとまとめの本とかにしていつでも読めるようにしたいくらい…。
いろんな質問が寄せられますが、「これについてロロイさんはどう思うんだろう?」って考えを聞いてみたくなる気持ち、すごくわかります。一方で、悩み相談に応えたり、間違ってると思ったことに対してはスッパリ退けたり。
ロロイさん自身はaskfmのどういうところが面白いと思われてますか?

ロロイ
askfmもまた別の形のブレインストーミングというかあえてひどい事言ってみたり、ただ顔は見えないものの相手がいるのでダイレクトに「ふざけんな!」って返ってきたりしますがそれ含めて一緒に遊んでもらって頂いている感じです。あと文字数気にせず書けるので言いたい放題できるのが楽しい。心の日記みたいなものです。あとは匿名ってのが良いですよね。やっぱ顔が見えないと言える事ってあって、ツイッター上で直接ばーかって言われた事ないけどaskだとばんばん来る。ほんと面白いです。誰かな?って考えるのも好き。誘い水みたいのでわざと煽った回答して相手が乗ってくるのも楽しい。

WEBサービスのゆくえ

むぎママ
ツイッター、askfmの他に最近お気に入りのインターネットのサービスは何かありますか?

ロロイ
notepadですね。シンプルで良い。ちょっと違うけど漫画雑誌のウェブ版とかもめっちゃ増えましたよね。一通り見てますけどなんかもうちょっとしたらまた別のアプローチになりそうな気がしてます。

むぎママ
漫画雑誌のウェブ版はすごく増えましたね。pixivとかツイッター発のクリエイターがそういうところで発表してたりするけど原稿料とかちゃんとしてるのかな?って思っちゃいます。作品を発表したい人にとって可能性は幅広くなっていますよね。

ロロイ
確かに。ただ、私の知ってる「漫画」ではないですね少なくとも。1分もかからない薄いもの、新聞の四コマ漫画的なものばかり。でも位置づけとしては正しいかもで、私たちがネットを使う時って新聞におけるメインページを見る感じで、漫画ってのはあくまでオマケみたいな。だからがっつり読ませなくて良いっていう。がっつり読みたい人からすると物足りないけどニーズがそういう風になってるのかな、と。仰る通り競合がpixivとかツイッターの1コマ漫画だったりする訳ですからスピード感重視なのは仕方ないですよね。きっとそういうスタイルの漫画で育った世代が今後の漫画界を担うので私達が中年以降になった時、漫画そのものの在り方ががらっと変わっていると思います。

むぎママ
“そういう気恥ずかしさの肩代わりをして最後の一押しをしてあげてあとは利用者が思った通り参加できる、っていうのがネットサービスの役割じゃないのかなと思います。”
“町内会くらいのノリで寄り合いみたいの”
という発言が出ましたが、ここからのイメージでなにか漠然とでもこんなサービスあればいいなっていうのありますか?

ロロイ
ホームページ、ブログ、mixi、facebook、instagramとかなんとか、で結局ツイッターの軽さってのが最軽量な気がしますがもうちょいmixiっぽさがあっても良い気がするんですね。google mapとかカレンダーとか使ってライフログを残す、みたいのが始まりつつある感じですがきっとそういう情報みたいのが次のSNSに搭載されていくと思うんですよね。写真は撮れる、みんなとシェアしていいねが貰える、でもベースとなる自分の記録みたいのって全部乗っける訳にはいかないけどいつか必要な時にどっかを見ればログが残ってて欲しい、じゃあそれはいちいちfacebookなりに手動で載せるのか?そうじゃなくて別の方法でもっと気にしないで残ってて欲しい、そんでそのログをベースとして何かを引き合わせる様な仕組みがあれば…….って事で、そういう半自動で累積された情報をベースにあるサービスがマッチングしてイベントなりをオススメしてくれたりとかしたりとか…すみません具体的にはアレですけどそういう骨組みみたいのが浮かんでる状態です。考えなくてもログベースで欲しい状態が用意されるっていう。5年後にはわざわざ手動で「良い部屋飾り大会を実施する」なんてのはしなくてもシステムがそれめいたものをおすすめしてきてボタン一つでその寄り集まりみたいのが構成、開示される..と思います。

むぎママ
ツイッターもここ数年で様変わりしましたけど、結局この手軽さを超えるものってなかなか出てこないですよね。

ロロイ
この手軽さってかなりの発明だと思うんですよね。普遍性がある。

むぎママ
ライフログってことで言えばわたしは個人的に紙のアナログな手帳を再評価してるんですよね。
持ち歩くの不便だし書き込むの面倒だけど、その面倒さを今一度愛してみたい気持ちになってます。

ロロイ
あ、私も紙の手帳使い始めてます、無印の文庫型の薄いやつ。完全にメモ帳代わりですけどきちんと使わないってコンセプトだと気軽に書けるしちょっと書き出して最初のイメージをまとめたいなって時にスマホじゃできない「さっ」書きが出来ますよね。紙の本と電子書籍にも似た所あります。モバイル端末の「いつでもどこでも欲しい情報にアクセスできる」は所詮記録媒体に過ぎず、アウトプット向けじゃない気がしますね。

むぎママ
映画「ソーシャルネットワーク」でFacebookの創業者であるマークザッカーバーグが「Facebookはクールなサービスでなければならない。」って言い放っててカッコよかったんですが、Facebookってイマイチライフログって意味でもコミュニケーションって意味でももったりしてるというか、痒いところに手が届かない感じありますね。
しかしロロイさんがおっしゃったようなサービスは数年のうちに可能になりそうですね。
登録してる様々なSNSのログを参照して人工知能の技術で自動的に自分が求めてるものを提案…とかまさにGoogleとかFacebookがそのうちやりそう。

ロロイ
Facebookって実名で同級生と繋がれる場として優秀だったけど、コンテンツとしては微妙でmixi以下ですよね。もう無くなってもいいかなって思います。集積された個々人のログというビッグデータを元としたディープラーニングによる結果がIoT製品と結びついて買い物とかはもっとスマートに出来るようになりそうですよね。車の自動運転とかもかなり近い将来発展しそうだし、できれば健康管理もして欲しいんですね。google翻訳で、カメラで文字を取り込むと訳してくれるってのありますけど、googleグラスとかのメガネで食べ物を見ればカロリー計算してくれて現在の体調からしてこれは食べ過ぎデスとか助言してくれるとかそういう..実現の鍵はテクノロジーじゃなくてエネルギーだと思っててその妨げになってるのは民族紛争だと思うんですよね。ネットで色々垣根が無くなってるはずなのに根源的な種族って所でのいがみ合いは解決されないままという..要するに「便利な社会」は世界全体が幸せに向かうほどのモチベーションを与える事ができていないっていう..話がそれましたが..

むぎママ
おっしゃる通り、ビッグデータからの抽出で、自分の求める情報を欲望のままに甘受できるようなサービスがそのうちすぐに実現しそうですね。その反動で不便さの再評価って流れが来そうです。薄っぺらくてサラッと読める面白い漫画や簡単に書き込める、簡単にコミュニケーションができる、じゃないところを求めるようになりそうです。
モバイル端末が普及したことによる紙の本、紙の手帳の価値再発見にも繋がる話のような気がします。
というかそういうことに気付けるような心の余裕がないと色々厳しいんじゃないかな〜とか。寛容さとか心のゆとりがないとひたすらスピードや合理性を求められる世界では生きづらくなる気がします。

ロロイ
揺り戻しは確実に発生すると思いますがそれは個々人の生活の余裕の中での選択肢として残り続けるという事であって、社会全体のインフラとしては既存のものとのコストないし効率の対比上、そっちに自然とシフトすると思うんですよね。心情的にもインターネットとスマホが最初からある世代が主流になればそれは加速する。但し便利さの代償としてコミュニケーション面での弊害に直面するのは免れず、面と向かっていれば簡単に問題回避できていた事がシステムを介す事で余計な誤解が発生し、システムに慣れきった双方にスムースな経験と解決法が備わっていない為、修復しきれない断絶がそこら中で発生し人々は更に孤立していくと思います。既にその予兆はあって孤立している人はやけに攻撃的になったりしますがこれは十分な理解が不足している事と客観性の著しい欠如、それから周囲に勘違いを気づかせてくれる人が不在である、という旧来の対面型コミュニティに参加していれば他愛もない事が原因なのは言うまでもありません。便利だからといって突き進むのは危険であり、かといって大きい流れを止める術はなく、一人ひとりが賢明に状況判断し時に自衛していかねばならない時代が迫っていると思います。

むぎママ
ある程度自己完結できてしまうしそれに充足してしまうっていうのはあるでしょうね。だからこそひとりよがりになってしまうという…。
その解決策のひとつとしてリアルなコミュニケーションを充実させるっていうのすごく納得です。

ロロイ
同意です。ただ私はすごくめんどくさがり屋で、友人で優秀な人も理由を聞くと「面倒な事になったら面倒だからちゃんとやってるだけ、本当はやりたくない」っつってるし、やっぱ便利さはある程度ずっと求められていくもので..だから「面倒だけど良い」っていう、例えば山登りとかそういう自然に関する事であればやる気がでるし便利さをそこまで必要としないしそれを介して人と朗らかに交流できそうだし、そういう身体を動かす場が日常にあるといいのかなって思います。

箱庭療法

むぎママ
ロロイさんは音楽や文章や様々な企画のオーガナイズなどされてますが、どの活動が一番自分っぽいと思われてますか?

ロロイ
文章ですかね。それは人に気を使っていないって点で。注目もされてないし。企画(ってほどでもないですが)の場合、気を使うし自分を出来るだけ出さない様になります。音楽も、聞いてもらう時間を頂く以上、変な自意識のこじれみたいのは作れないなって思います。文だとそもそも「なんだ文か」って読まない人多いと思うし、ざ~~って文字があっても「読もう」って思う時点でその人って普段から文を読み慣れてる人で数秒で斜め読みするか冒頭の数行で書き手のレベルが察知できる人なはずでそれならあんまり負担かけなくていいし、あと文って変な自意識のこじれな方が面白いから。

むぎママ
コートでの文章や企画はロロイさんの中でどういう位置付けですか?

ロロイ
大体ツイッターやってる時にふと思いついてツイートしたものが元となってて、何か形にして残しておきたいなって思ってまして。だから個人的には、私の想いの結晶ですね。それを並べている..箱庭療法ってやった事ないけどそういう感じですかね。あとそうだ、同人誌とかって憧れがあったのでそういう気持ちですね。

むぎママ
箱庭療法、なんだかはっとした指摘です。
なにかをアウトプットして文章なり絵なりなんらかの形に昇華するのって自分をケアするようなことだと思う時があります。自分ってこんなこと考えてたんだって客観的になれる。悩みや苦しみがあったとしてもそれを取り出してみることで自分と切り離して見れるような気がします。

ロロイ
そうですね。私がフォローしている北沢くんに教えてもらった事の中で、「比喩とは自分の人生を物語に落としこむことである」ってのがあって。意味合いとしては、「体験を文とか音楽に喩えられる=自分の体験したことの輪郭が見えてる=その”体験”という名の箱から解放されて、俯瞰しながらその箱の輪郭なでてあげられるというか、最終的にイエーイ的な感じになる」って仰ってたんですよ。うまい表現だなってしっくりきまして。
あとは、アイデアの温度っていうか、深く考えずぱっと出てきたものをとりまツイートでメモしておいてあとで形にしようって思っても結構そのままにしちゃう事があって。んであとで見返すとその思いついた時の温度が消えて冷え切って硬くなってる。或いは私自身が冷めて「なんでこんなのメモったんだろ」とかなる。でもたまにまだ熱を帯びてて私もそれに触れたら熱が復活するものがあってそれは形にしておきたいなってなる。きっと自分の中の普遍性みたいなものであって、こういうのは頭を捻ってうんうん言ってもなかなかでてこない貴重なモノだと思うんですね。だから収集しておきたい。

むぎママ
わ〜〜。すごくしっくりくる表現です…。わたしも最近TwitterとかのSNSで不特定多数の人に見られることを前提とした発信に疲れてという程ではないけどちょっと飽きてきてしまったところがあって、その揺り戻しで自分だけの手帖にひっそりと出来事や考えをアウトプットするっていうのをしているのですが、まさに、自分だけの箱をそっと撫でているような感じがあります。

これからのこと

むぎママ
今後、インターネットでこんなことしていきたいっていうのありますか?

ロロイ
長期的展望って何もないですね。面白そうだと思う事はすぐ手につけてますので..インターネットでできそうな事はある程度やった気がします。無論無名の一般人としてできそうな事に限られますが..かといってお金貰ってちゃんと責任もってやるのって、もうそれってインターネットじゃないじゃんって思うんですよね。仕事だから..だから例えば有名雑誌のウェブ版でコラム書くとか、自分の自尊心が慰められそうだけど、色々制限があってお金払う側の意図通りに進めなきゃいけないから実際やってて楽しいとは思えないと思う。
一つあるとすればホームページっていう文化がまた根づいたら面白いかなって事ですかね。そこに自分の書いたテキストとかを置いておいてそれで交流したいですね。こう..facebookやらツイッターやらで外に開きまくってる流行りで気づいた人もいると思うんですよね、なんかコレジャナイって。もうちょっと閉じた世界の方が良いって。私はそっちの方が本領発揮できるタイプなので早くその世界が来て欲しい。そして濃い人達とひっそり交流したいです。ていうかツイッターの使い方が既にそういう感じになってます。

むぎママ
自作のテキストや絵があって、おすすめの音楽や映画のレビューを書いて、掲示板があって、カウンターがあって…みたいなの、いま改めてやってみたら可愛いかもです。
ロロイさんは閉じたコミュニティで濃い交流も確かに似合いますけど、流行を生み出すような影響力や発信力も持ってると思いますけどね。

ロロイ
ブログやってみようって既存サービスを眺めるとテンプレートがあって確かにすぐ始められるんだけどもっとこうしたいんだよなって思いませんか。私はもっとカスタムしたい。そうなるとホームページなんだけど見る人の大半はスマホの時代だからそぐわないでしょうね。そうすると内容一本の勝負になって味気ない。私が好きだったホームページたちは内容よりも装飾とかコンテンツの配置の仕方とかが個性的だったんですけど..まあそういう意味からすると主流はスマホで、既存のテンプレ上でライトにってなもんで、それを享受する人達の感覚もそういう感じなんですよ。そうすると私の影響力ってのは通用しないと思います。私はもっとアナログなのが好きだし手作り感に惹かれるし、作るものもそういう感じだと思うので。ていうか流行ってるものって多くの人がいいねって思うって事だし多くの人ってあんまりガッツリその文化を知ってるというより良い意味でにわかなお客さんでしょう。そこを沸かせつつ本質的に在るのは並大抵じゃないと思います。人生かけてようやく成し遂げられるかどうかってレベルで私はそこまで根性型じゃないのでそもそも無理ですね。
あとバズるって言葉がダサいと思う。結局さら~っと消費されちゃうイメージ。そんなもんマーケティングして狙って作られるファーストフード的娯楽ですよ。それとは一線を画すべき。もっと落ちにくい油汚れみたいに触れた人にキツイ影響及ぼしかねないものの方がPOWERあって好きですね。そうありたいしそれしかできない。

むぎママ
本当にそうですね。流行が作られる流れみたいなのが定型化していてさらにそのスピードも早くなっているので、忘れ去られるのもあっという間なんですよね。流行っていうのはそもそも廃れる前提ですしね。現代のマーケティングはより刹那的になっている気がします。や、でもやっぱりロロイさんは人に影響与える人だと思います。ロロイさんが何かについて言及するとそれについての見る目変わります。ロロイさんが好きっていうものとか、使う言葉とかいっつも気になりますね。「..」の二点リーダーとか真似したくなりますもん。ロロイ印だから真似しないですけど。
むぎママ
ロロイさんとこんな風にじっくりやりとりを交わすことができて楽しかったです。
今回いろいろお話して、ロロイさんのPOWERひしひしと感じました。
もっとずっと続けていたいんですが、きりがないのでこの辺りで泣く泣くお別れとしたいと思います。
最後にひとことお願いします!!
ロロイ
長々すみません..私のような狼藉者にかような貴重な機会を頂き誠に深謝です。私は今までずっと一人で私自身とのモノローグを綴ってきておりまして..いわば一つの点に過ぎなかったのですが、むぎちゃんさんと出会って興味を持って頂けて初めて一緒に何かを作っていく事で点が線となり、ウェブマガという形式で色んなお方と絡む事できらめく多角形の構成点の一つとなれて嬉しいです。むぎちゃんさんと出会えて本当に良かったです。
私は本当に中途半端で不完全なすすけた点に過ぎず..例えば急行が停まらない小さな郊外の駅前の客の入らないよく分からない店みたいな感じで、あーあの店まだあるんだー客入ってる所見た事ないけど、みたいに言われる様な..いやこういうノリはだらだらつまらないので止します。
ツイッターも文も音楽も、勿論このコートもまだまだやってみたい試してみたい作ってみたい絡んでみたい事が尽きません。はやくやり尽くしてまったりしたいんですが次から次と頭に浮かぶんです。今まで私の意志とか才能とかのせいだと思ってたけど何か違う気がしてます最近。自動的になんかめっちゃ色々アイデアが浮かぶんです。需要がほとんどないし反応もほぼ無いのに..考えても仕方がないのでこのままもうしばらくこういう感じでやってみたいと思います。そんな事言いながら次の十年もこんな感じだったらどうしようって思います。ちゃんと衰退するんでしょうか?終わるんでしょうか?自分がどんな感じでインターネットから消えていくのか、めっちゃ気になります。っていうかもしかしてもう消えてかかってるのかな!?やだ消えたくない!!助け..

こうして今回話してみて、当然ですけど普段ツイートしている量のさらに某大な量の思考がそこにあって、その一端に少しでも触れることができてうれしかったです。
それと、過激な発言ばっかり目立つけど、静かで淡々としていて、わたしにとっては「癒やし」の存在だなということも再認識いたしました。
ロロイさんとコートのサブタイトル的なワードを考えている時「波打ち際」というキーワードが出たんですが、これは完全にロロイさんに引き寄せられて出てきた言葉だと思います。静かだけど、ちょっと怖くて、揺らめいていて、どこか落ち着く。
そんな波のように不定形のロロイさんとわたしでもうしばらくこのコートを続けていきますので、今後もよろしくお付き合いいただければ幸いです。

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