田島ハルコさん-喫茶 むぎ子の部屋 第6回


喫茶むぎ子の部屋はインターネット上にある小さな喫茶室です。毎回ゲストをお呼びしていろいろなお話をしていきます。6回目のゲストは田島ハルコさんをお招きしました。田島さんはソロ名義での楽曲発表の他、3ピースガールズバンド「シャンプーハッツ」やむぎ子の部屋二回目のゲストにゃにゃんがプーさんとのユニット「読者MODEL」でも活躍中。多面体を超えた球体を目指す田島ハルコさんの秘密の一端を今回は探っていきたいと思います。

ハルコアー写

(撮影 南阿沙美)

田島ハルコ(以下、田島): こんにちは~

―――田島さんこんにちは!まずは自己紹介お願いします。

田島: 皆さんはじめまして。田島ハルコといいます。

ではここで早速最近考えた自分のプロフィールを発表します。

「胃がけっこう弱いのに毎日ストロングゼロを煽るノーフューチャーな生活を送るものの、朝起きたら白湯を飲んだりする一面もある23歳女性。生命線が短く骨密度もけっこう低い。」

よろしくお願いします!

―――今日田島さんとお話しするにあたってどういう話をするか結構悩んでたんですけど、経歴とか趣味嗜好みたいなものってHPにちゃんと書いてあるんですよね。あれ、すごいよくまとまっていて、なんで音楽をはじめたかとかもよくわかるし、すごくいいいですよね。なので、今回は経歴とかバックボーン的なところよりもさらに田島さんのハイコンテクストな部分っていうのを追求していこうと思ってるんですけど、そんな感じで大丈夫でしょうか

田島: ありがとうございます。それでいいと思います!私の場合本体よりもなんならそっちのノイズが本道なので…

―――そうですよね。しずる館拝見したんですけど、水野しずさんがおっしゃってましたけど、田島さんの魅力はそのハイコンテクストさですよね。

田島: わりとツイッターに普段書いてることとか自分はノイズって思ってるのでそんなのをハイコンテクストと言われちゃうと照れちゃいますね。ハイコンテクストってなんか響きがウケちゃうし…でも文脈が分かってる人にしかウケないという点でまあハイコンテクストなんだろうな、と。

―――そう、そういうところがもうハイコンテクストな遊戯って感じします…

田島: 自分は音楽やってるからそれをみんなに聴いてほしい気持ちもあるんだけど、ノイズが本体ならなんなら創作が副産物なのかもしれないし、別にどっちを主体に楽しんでくれてもいいと思ってます。

―――田島さん自身としてはそれに対して葛藤みたいなのはあるんですか?

田島: そうですね。葛藤は葛藤のままアウトプットされてる気がする。ノイズにしろ創作にしろ、なんかめちゃめちゃわだかまったでかい毛糸の玉を解く作業を放棄してそのまんま相手に投げつけてるみたいな……

なんかあんま具体的に上手く言えなくて、変な比喩になってしまったけどそんな感じはあります。

―――いやいや、わかりますよ。というか、ノイズの部分もちゃんと音楽性に回収されていると思いますし。ノイズっておっしゃってますけど、わたしは田島さんはすごく一貫しているように思えます。だから、田島さんのノイズな部分を解き明かすことでより音楽のほうも深く味わえるのではないかという、そういう試みをしていけたらな、と

田島: おお、ありがとうございます!確かにわりと一貫してるけども、その過程ですごく横道にいっぱい逸れるからその感じがしっくりこない人も多いんだと思います。分からなくて諦めてしまう人も多い思うし。あと、水野しずさんってすごく頭の中が整然とされててノイズっぽいのものはほぼ発生しないタイプの人だと思ってて、似てるようで全然違うから話してて面白いんですよね。自分にとってはけっこう脅威って感じしました。永遠に勝てないみたいな。

コニャンニャンについて

―――今回色々聞いていきたいと思っているんですが、まず田島ハルコ導入編として一番ライトな質問で…コニャンニャンとはなんなんですか?

田島:コニャンニャンについてもいろいろなタイプのノイズが包括されてるんですが…ウーン、ちょっと言いかけてしまってなんなんですが「新春コニャンニャンショー」というイベントをやってから自分の中のコニャンニャンには一つ折り合いがついたかなっていうところなのです。ちょっとドリンクバーの飲み物を取ってきつつ少し考えてみます…!

―――折り合いがついたってところ含め気になります!

田島: ウィキペディアの集合的無意識っていう項目を見てかなりしっくり来たんですよね。

そのイベントでは自分がそこで”しっくりきた”感覚を上手く言葉にできないなりにスライドにして解説したり大学生のレポートみたいな文章を作って発表したりしました。で、今の段階ってそこじゃなくて、もう一段階先というか…

わりと自分の中で折り合いがついちゃうとワーッてしゃべれる感じじゃなくなっちゃうんですよね。でもここでは今質問されているので一応それなりにちゃんと答えたいんですが、その前に横道に逸れてしまいそうになっている…のでちょっと一旦頭を戻します!

ざっくり言えば「みんなの心の中にはイデアとしての球体があって、そこに向かっていくパワーがコニャンニャンという音象徴に包括させている」みたいな話をしました。なんか難しい感じになっちゃってますが、そこは私の、「噛み砕いたものを創作としてお届けすることがまだできていない」という咀嚼力の弱さの表れであり…そう!なんていうか、そこができるようになりたいと思っているんです。ツイッターでノイズとして面白概念の”コニャンニャン”を提唱していく行為の先に、新春コニャンニャンショーのようなわりと学問的な文脈で研究するようなイベントがあって、その先にもっとこう、あるべき場所に戻していくような、創作にしていく作業があるのかなと。

―――なるほど、だいぶわかってきました。コニャンニャンはどういう経緯で発生したのでしょう?

田島: なので第二段階としては折り合いがついていて、これからあるのが第三段階なのですが、まずはどういう経緯で~という質問にちゃんと答えます!

コニャンニャンの発生ですが、ある日布団に入って目をつぶっていたら宇宙の誕生みたいなイメージが浮かんできて、そしたら小さいんだけど丸くてとてつもなく大きなものが発生してきたんです。その時、半分脳は寝てるんですが、浮かんできた言葉が「コニャンニャン」だったんですよね。小さいんだけど大きいっておかしいんだけど、なんていうかな、普段生活してる空間感とは違う世界での出来事だからそういうことなのかな~みたいな印象を受けました。何故かそれがしっくり来たという。「コ」は文字通り、「子」とか「小」みたいな小さいものを意味する音だと思います。

それ以来丸いものをみるとコニャンニャン!コニャンニャン!っていってはしゃいでいました。最初は私と身近な人の共通認識みたいな感じで始まったんですが、ツイッターになんの説明もなしにそれっぽい画像だけ載せてそこにコニャンニャンと書くようになってから気付いたら全然知らない人までコニャンニャンって言い始めたりして、あっやっぱり間違ってなかったんだな!って思いました。

―――集合的無意識のお話が出たからコニャンニャンの発生自体が無意識からのものだったのかな、と思ったんですが、本当に意識と無意識の狭間みたいなところから発生してきたんですねコニャンニャンって言葉自体が幼児語のような、人間が原初的に作る音の響きみたいな面白さがありますね

田島: 言語学の文脈ではあんまり掘り下げてないんですが、幼児語の話は新春コニャンニャンショーの時もしました。「ブーバ/キキ効果」っていうのがあって、

簡単に言うと、「どのような音からどのような概念を連想するか(音象徴)に関しては、文化・言語の枠を超えた法則はない」…という現象で、例えば言葉を知らない子どもがオノマトペ的に発する語って言語圏を問わずちゃんと共通しているみたいです。

コニャンニャンが発生したのも私が無意識的領域まで降りていった時のことだったので、多くの人にもしっくるような感覚だったんだろうなと思います。

―――無意識的に発生したコニャンニャンがそれが普遍的で元型的なものであるという理解を経て、次のフェーズに、というのが第三段階ですか

田島: そうですね。あとはもうけっこう個人的な問題にしちゃってもいいかな、というか、コニャンニャンでなんか作りたいなという感じです。すごく簡単に言ってしまいましたが…

―――なるほど、すごく面白い話を聞けました。

田島: P-MODELのスキューバっていうカセットがあって現物は廃盤でめっちゃレアなやつだからネットに落ちてるやつしかみたことないんだけど、そこにある小説みたいな長い前提の中に「ボクは泣いたよまったく。自分の中に深くもぐって行くと他人の事がわかるなんてね。」っていうのがあって、なんていうかウワーーーーッて感じでした…

―――それすごくいいですね。音源聴いてみたい

田島: 音源はボックスに入ってるから持ってはいるんですが、普通にカセットで再販して欲し過ぎますね。宝島のキャプテンレコードから出てたんだけどなんとかならないのかなぁ…遠藤ミチロウがナレーションしている部分があってそこもめちゃめちゃ泣けます。ワッ話が逸れてしまいました…。

パフォーマンスとニューウェーヴ

―――心理学に関して全然疎いので色々教えてもらえて勉強になりました。田島さんは心理学には昔から興味があったのですか?

田島: 私も全然疎いんです…でも興味はありまして、フロイトの精神分析入門はずっと読もうとしているのに未だに途中でやめてしまったままになっています(笑)

学問としての領域の心理学、というより、もうちょっと単純に”自分と他者の根幹で繋がっている部分”みたいなものに多分関心があるんだと。

―――ああ…それすごくいいですね。集合的無意識の話にもつながりますけど、自分を見つめていくと究極、神話に戻るというか、そういうことをわたしもよく考えたりしますね。

田島: うん、うん。そうですね。

―――最近はあまりまんがを描かなくなっていましたが、まんがを描くとしたら神話の変奏だけをずっとやりたいなって思いますね。

田島: いいですね!今自分をみつめるとけっこうダメになりそうになるんでまだしばらくはやれない気がするけど、わりと何かの折に自分を見つめまくる期間をしっかり設けたいと思ってます。

―――自分を見つめるっていうと自意識との対話みたいな表層的な部分で終わりがちなんですよね。それだと結構自己嫌悪みたいになって終了なんですけど、田島さんが今おっしゃってたのって表層的な自分というのを飛び越えた根源的な部分の探求みたいのを感じますね。P-modelの音楽も深く潜るというか、過去への遡行というか、原体験を探す冒険みたいなのを感じますね。

田島: うん、うん。それも嫌になってきて終わっちゃうのは避けたいしなかなかきっかけがないと難しいですよね。前は夢日記をつけてたんですが、なんか自分を見つめるより今はもうちょっとやりたいことがあるな~と思って記録を怠ってたら夢もすぐ忘れるようになっちゃって…

でも漠然と何かが怖いっていう状態をなくしたいなら自分を見つめまくるのが一番のような気がします。自分の場合やっぱりなんかモノを作ってアウトプットしていると怖いと思うことがあるのでそれを私生活の話とかノイズを交えて怖さを薄めていくというか……ウーン端的に言うと今は自分の人間性だけでやってるから消費されるのがやっぱり怖いんですよね。

前ににゃプさんのインタビューで虚像の話が出てたと思うんですが、その感じはとてもしっくり来ました。自分の人間性だけで虚像にあたる部分を作り上げてるからこれだとすぐダメになっちゃうんじゃないか…みたいな。

―――自分の中で一番純度の高い部分をさらけ出すことの怖さですかね

田島: そうかもしれません。以前人に言われたんですが、私はガードなしで戦ってる感じとか、攻撃するパワーはあるけど受け身の類は一切知らないみたいな感じって言われて、確かに…って思っていて…。

―――確かに、生身で戦ってる感じします

田島: でもじゃあ他にやり方って思いつかないんですよね…。

でもフツーに怖いなって思いながらやってるという…まあでも楽しいです。いつも死とかケガのリスクが隣り合わせだからアドレナリン出てる感じはしますね。身体は本当に固いし物理的にも本当にそうかもしれない。

―――ロロイさんも前おっしゃってたかもしれませんが、田島ハルコさんは巫女タイプだなと思っていて。巫女タイプってつまりどういうことなのかみたいなうまく説明できないですけど、なんだろう、あちら側とこちら側をつなぐというか、あちら側が見えてそうというか。境界にいる、っていうか。

その怖さみたいなの、なるほどなって思って。直接死とかを歌にしているわけじゃないしむしろファニーにやってるんだけど、そのバランス感覚がすごいな、と。そしてそのファニーな部分が虚像にあたるものなのかもしれません

田島: 肉体は枷って感じがすごく強いんです。具体的に身体が不自由なわけじゃないし五体満足なんだけど、なんか体感的にすごく居心地の悪い場所に自分がおさまってる感じなんですよね。

ファニーさが虚像であり照れ隠しなのはそうだと思います。虚像のタイプで社会の受け皿が決まっていきそうなのでもうちょっとどうにかしたいな~ってのはありますが…まあでもユーモアは人間が生きる上では絶対になくてはならないものなのでそこはこれからもずっと大切にしたい部分です。

―――身体の居心地の悪さみたいなのって、ニューウェーヴの音楽とすごく親和性が高いと思っていて。そういう意味で田島ハルコさんはすごく正しくニューウェーヴしているなと思ってるんですよね

YouTubeで田島さんのライブ動画を拝見して、思っていたよりずっとパフォーマンスがエモくて。なんかそれがすごくニューウェーヴだと思ったんです

田島: そうですよね!ニューウェーヴって端的に言うとまさにソレだと思ってて最近は積極的にそれを訴えていたら同意してくれる人が少しずつ現れてきてくれてるのが大変嬉しいです!

―――よかった、的はずれなこと言ってなくて!

田島: いや~的外れどころか、結局何を言ってもそこに行き着くしまさにソレ!みたいな自分の中では王道のニューウェーヴ解釈です。ありがとうございます!

―――ニューウェーヴって、電子音使っているけど、そこからはみ出る身体のいびつさがキモだと思ってます。

田島: 如何にもです!

―――DEVOのサティスファクションにあるような、身体で機械的なものを再現しようとするいびつさで、むしろ身体性が際立つっていう。再帰的に人間っぽくなる感じというか

田島: DEVOのサティスファクションはロックたるもののニューウェーヴ的側面だけをありのまま引っ張り出してきた感じで、ある意味ロック的な純度がすごく高いと思っています。

―――田島さんがしずる館でおっしゃってた、電子音楽が単なるテクノロジーになっているのはつまらないからチープな音のみで音楽を作るっていうアプローチもまさにニューウェーヴ的なアティチュードだなって。

田島: 今はあまりにも手軽にそこそこのクオリティの音楽が素人に作れてしまうような時代だから、テクノロジーの便利な部分を、意図して再帰的にいびつな身体性に戻していくようなやり方が必要になってくるのではないかと思っています。

自分がやっているシャンプーハッツもそういう文脈でのロック的な純度はすごく高いんじゃないかと思っていて、最終的に音楽は身体性っていう部分に還るのものなのかなって感じがしてます。

―――うんうん。細野晴臣がたしかYMOとか電子音楽やっていたころは身体性とかアナログなものがダサいと思ってそういうのを抑制していくのがかっこいいと思っていたけど、年をとったら身体性とかアナログな表現に興味を持つようになったって言ってました。

田島: その一方でD.A.Fとかその後のEDMみたいな音楽では電子音と人間の肉体性ってすごく親和性が高いという事がわかるし。YMOもクラフトワークも人間性を排除しようとしていたところから逆に人間味が滲み出てたりとか…ってのがキモですよね。

―――田島さんのライブパフォーマンスのそういう身体性みたいのすごくいいなと思っていまして。肉体の居心地の悪さみたいなのもわかるんですよ。身体を持て余している感みたいな。そういういびつさとエモさみたいなのにグッと来ますね。

特に良かったのが、シブカル祭のライブで、膝にシールを貼っていて、それを気にしながらパフォーマンスしていて。で、曲の合間にその膝のシールを見せようとしてスカートをちょっとあげるっていうことをされていたんですけど、なんかこれがつまりマンコティックなのかなあと思ったんです。

田島: マンコティックありがとうございます!

”膝に貼ってるシールをこちらに見せてくる”って確かに言われてみれば行為としてマンコティックですね。つまりなんか男性の目線から見てすごく有難くない感じっていうか…

むぎほさんが思っているのとはもしかしたら違うのかもしれませんが、最近は男性にとって有難くない女性性がマンコティックなのかな、って思っていたりします。

―――マンコティックって言葉はロロイさんが2015年3月にツイートしたのがはじまりですが、意味があるようでまだ定まっていない、みんなが各々意味を付与していってるっていうのがインターネット文化人類学って感じで面白いなと思っているんですが

―――わたしもマンコティックについてはまだ明確に定義できていなくて。田島ハルコさんが膝に貼ったシールを見せようとスカートをちょっとたくしあげ膝を出すような…ぎこちない身体性からにじみ出る原初的な女性性=マンコティックを感じたんですよね。

で、その身体性のぎこちなさってニューウェーヴと親和性があるなあと思って。なんか私の中ではつながったんですよね

田島: なるほど!私もマンコティックに関していろいろ考えを巡らせてはいるものの、「原初的な女性性」っていうのがまず前提にあるような感覚はあります。それこそロロイさんが定義しているSlitsのtypical girlのミュージックビデオのような印象を感じてくださったようで嬉しいです…!

―――田島さんの「マンコティックとはアニマでありアニムスであり、普遍的で無意識的な女性性という概念です。」というツイートも念頭にありますね

田島: ありがとうございます!そしてさっきの「男性にとって有難くない女性性→マンコティック」という解釈についてですが、70年代末期のニューヨーク・ノーウェーブシーンを代表する女性であるリディア・ランチが、男性たちに頼まれてもないのに毎回弁当を作ってくるからランチというニックネームになった、というエピソードを最近知って、これもマンコティックの文脈で捉えられるかなと思って……おや、けっこう大風呂敷を広げてしまったかな…

ちなみにリディア・ランチはライブで流血しまくったりとんでもないビッチだったり、エキセントリックなエピソードでよく知られている人物なのですが、たいへん知的な女性でもあり、「フェミナチ」を自称して”敢えて”そういうことをやっていたっていうのがグッときました。そこから「男性にとって有難くない女性性→マンコティック」という感じが自分の中に生まれてきたような感じです。

―――過剰な女性性ってことですかね

田島: 過剰な、と言ってしまってもいいんですが、「男性の想像の範疇にはない女性ならではの男性にとって脅威になるような行動」って感じですかね…そういった行動は一見ささやかであっても脅威であったりするのかもしれない。

―――わたしはこの対談通してまた自分の中でもマンコティックって言葉が変化しているんですけど。原始的な女性性っていうのがコアにあってそれは概念的なものでイデアであり、アニマ/アニムスのような集団的無意識のものでもあるのかもしれないんですけど、この一番コアな部分っていうのはほぼマンコとイコールなんじゃないかと。形而上のマンコといえばいいのでしょうか。で、マンコティックっていうのはそれを皮一枚で覆っているというか、コーティングされたものなのではないかと。形而下の、肉体であり、行為であり、表層であり…。

田島: うん、一番シンプルにマンコティックを定義すると普遍的な部分からやってきた女性性、というようなことかもしれません。

マンコっていかにも全人格のコアですもんね…

―――そうですよね。すべてのはじまり…生も死も、男も女もすべて包括する…。

田島: なんていうか全体的なトーンとして自然の脅威みたいなものに近いような気もします。

―――そうですね。人智の及ばないものに対する畏怖というか。スピリチュアルな領域になってきますよね。近代的合理主義者にとってはいまいちピンとこない話だとも思います。そういう点もマンコティックだなあと今思っています。

田島: うん、そうですね。それこそ私が言ってることがハイコンテクストとされたりなかなか本質にたどり着けないような印象を与えているのも、社会全体が合理主義的だからなのかなと思えてきました。

―――ですね。しずる館では「超現実」という言葉が「すごく現実」と解釈されてしまってましたからね。あれは結構象徴的な出来事だったのかなと

田島: アハハ~まあそれはそれで…あの時はどうにかその場の解釈で言い訳できてよかったです…

―――でも、田島さんとか水野しずさんもですけどそういう中でやっていくの大変そうですけど、今って過渡期的なタイミングでもあるのかなって。インターネットによって様々な文脈があることが徐々に理解されていってる段階なのかなあとか思ったりもします。

田島: うん。そうですね。この間ツイキャスをやってみて、水野さんは思考をクリアにするために極限まで削ぎ落としていってすごくソリッドな状態で戦ってるのに対して、私は雪だるま式にどんどん丸くて大きなものになっていってるみたいなことを感じたりして、お互い全く違うやり方なんだけど、過渡期を生き抜く知恵みたいな、その場その場の適応力とか反射神経が求められていく時代のような感じがしますね。

―――コニャンニャンだ!ツイキャスでは似ているお二人の対照性が際立っていて面白かったです!

田島: 生きていくにつれてどんどん自分の頭がおおきくて丸くなっていくような感覚があることをふとその時感じました…やっぱりああやって何かをぶつけ合うと圧倒的に対照性のほうが際立つしいろいろ凄まじかったです。疲れたのであんまりずっとはやりたくはないんだけど、ああいうお互いに神経が剥き出しみたいな状態って不思議と健康にはいいような感じはしましたね。

―――ほとんどコニャンニャンとマンコティックの2トピックしか話せていませんが長々とお話ししてしまいました…。何か言い残したことや今後の展望?予定?みたいなのを最後にお願いします。

田島: そうですね!たくさん話せてよかったです!コニャンニャンとマンコティックは無限に話題が広がってしまう領域なので本日はこのへんで…ということで。またどこかでこんな話できたらいいな!

今後の展望というかまあ普通になっちゃうけど、2016年3月、このインタビューが公開されてからは多分まもなくだと思いますが、「暴力」という私のアルバムが出ます!インターネットでも私の曲は簡単に聴けますからどなた様も是非チェックしてみてくださいね!…みたいな感じですかね?どうもありがとうございました~~!

―――アルバムとっても楽しみにしています!今日はとても楽しかったです。ありがとうございました。

田島: こちらこそありがとうございました!ではまた~

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