わたしの今月の一冊 二冊目


こんにちはloiolです。

本、読んでますか?

私は最近ちょっと読み始めました。もしかして本って面白いかも?とも思い始めています。

「みんなでそれぞれ感想を持ち寄って読んだらもっと楽しいかも?」と思ってはじめたのがこの試みです。

 

交換日記ならぬ、交換読書感想月誌、といいますか。

実際先月から初めてみた結果、ただ読むのと、だれかに感想を伝えるのだと、読み始める時/読んでる最中/読み終わった後で、どこか頭の使い方が違う気がして、なかなか楽しいかも..と思いました(モチベーションとかイメージを言語化する事で認識に変化が生じたり)。

 

できたら毎月やっていきたい所存です。

もし「わたしもやりたい」って事でしたらいつでもお声がけ下さい。

 

では、以下、今月分です。

ご参加いただきました皆様、誠にありがとうございます。

それから見出し画像はお金さんによるものです。

本当にありがとうございます。線と色が綺麗なお方なので要確認です。

 


オさん

ウィリアム・フォークナー
『八月の光』加島 洋造訳

読みにくい。とにかく複雑な文章に惑わされる。読んでいる途中で意識がどこかへいってしまう。

退屈で遠回しな表現がたくさんある。

気持ち悪い人物が二人もいる。

 

話は陰湿だ。

果てしない曇り空を連想させる。

アメリカの汚い田舎町を想像するが、文の中で、そのみてくれは明るい世界そのものである。

その景色の中で罪や癖を抱え込んだ人間がジタバタしている。

社会の風が普段通り流れてゆくなかで、

暗く凶々しいものを隠し持つ人間たちが容赦なく行き先を暗くして行く。

そのなかで底抜けに明るい人間を置くことでその暗い世界に明かりを灯す…のを作者は意図したのだろうか。

リーナ。

そのコントラストに踊らされながら読むべきだったのだろうが、

この美しく、健康な若き妊婦・リーナに特別魅力を感じることもなく、救いだと安堵することもない。

しかし、旅の中でオイルサーディンをたべるシーンは何十回も読んでしまうほど良い。

 

気持ち悪くてたまらない人間が牧師のハイタワー。

こいつがヤバい。

最後になってこの人間のの若かりし頃の話が始まる気配を感じる。

え?語っちゃうのヤングなハイタワーを…と声を出してしまった。

しかしそれは大事でそのままハイタワーの走馬灯へと徐々に結びついていく。

 

もう一人の気持ち悪い人間はクリスマスという男。

この物語の曇天を途切れなく読み手に見せ続けるのはきっと、彼のなせるわざであろう。

 

この本でおもしろいのが、目次だけみてても分かるように時間が混ぜこぜな所だ。

だから始終集中力が欠かせない。

ラストは明るく締まっているが、

それぞれの人間の持つものを思うと、後味が悪い。

後味が悪い本が大好きです。

 

ちゃんむぎさん

「女と女の世の中」鈴木いづみ

習作的なSF短編集…と思いきや最後に収録されてる表題にもなってる作品で度肝抜かれてしまった。今や割と使い古されてしまった「女だけの社会」が舞台になって、その設定の作り込みもなかなかのものだし、ジュブナイルな清涼感ある切ないボーイミーツガールものとしてラスト締めくくられる。全体通してSFの方法論でジェンダーや婚姻制度に対して作者自身が感じていたであろう問題意識を盛り込んでいる短編集だった。

 

かえれちゃん2002さん

「電遊奇譚」  藤田祥平

引っ越したばかりの町に小さい本屋があって、涼む為に本屋に立ち寄ってみた。

店内はやはりエアコンが効いてひんやりしていて、人も少なくて居心地の良い雰囲気だ。
少し店内を歩いてみると、新刊コーナーで安倍吉俊氏の表紙の本を見つけた。

パラパラとめくるとまた今度買おうかなと思ったけれど、気になったので買って帰ることにした。

内容はFPSやMMOの話、著者のゲームと自分に関わる記録だった。
webコラムを本にした内容なのもあり、短くて読みやすく、ノスタルジーと静かな熱を感じさせる美しい本だった。

現代では複数のコミュニティが存在し、インターネットにはたくさんの居場所がある。
主人ともインターネットで知り合った、でも絵を描いていてtwitterというコミュニティにいなければ全く出会うことはなかったと思う。

主人は料理を作るのが好きなひとでわたしが作業するときや頑張りたいときにはおやつを作ったりしてくれる。
彼は、沖縄の人でこの本を読んでいるときは沖縄料理のヒラヤーチーを作ってくれた。

 

くふ王さん

サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』野崎孝 訳

苛酷で思うに任せない現実と自己の儚い理想の板ばさみになった人々の自我に焦点を当て、その心の動きを緻密に描写した短編9つ。ダイレクトに人物の感情を明言するのではなく、複雑で巧妙に組み立てられた会話や場面の描写を通して訴えかけてくるものがあり、物言いが直接的ではないだけに読み手の心の中にじわじわと染み込み、侵食する感覚のとりこになる。
何度も読み返して味わうタイプの本。複数の翻訳者によって訳されているが、私は断然野崎孝の翻訳を推します。かなり好き嫌いが分かれる翻訳だとは思いますが。

 

高校生の頃ブックオフで買って以来学校で、引っ越し前の自室で、引っ越し先の家で、喫茶店で何十回も読み返した本であり、ひとかたならぬ思い入れがある。全体的に色褪せ、しみが目立ち、しおりの紐は擦り切れ、カバーはボロボロでマスキングテープで補修してあるほど。頻繁に持ち歩くのに忍びなくて同じ本の新品を購入したものの、やはり高校生の頃買った傷みまくりの一冊というのがわたしの情感にとって重要なファクターになっているらしく、やはりこのボロボロの本の方を手に取ってしまいます。

 

loiol

「集中力はいらない (SB新書)」森博嗣

筆者のお方はミステリー作家で有名な人、というざっくりした印象のみで、ただ一冊過去に「臨機応答・変問自在」という学生との問答集みたいのを読んだ事があって、「なかなか気の利いた事を言う人」ってイメージを持っていたくらいなんですが、じゃあなんでこの本を手に取ったかというとこんな帯がありまして。↓

常日頃だらだらしつつもうまくいきたいと思ってたので藁にもすがる思いで手に取ったのだけど、手に取った瞬間「こういう楽しようという堕落した思考ではうまくゆかないのでは..」と気弱になったのだけど、読み終わった後は「だらだらしてていいんだな」って思いました。

以下、よいなって思った部分の抜粋です。

“問題なのは、平均的な姿勢を強制されて、自分本来のやり方を無理に抑制されている場合である。自分に合った生き方をすれば良いだけのことだ

“「発想」には、いわゆる一つのことしか考えない「集中」が逆効果である~「ヒントはいつも、ちょっと離れたところにある」

“思いついた瞬間というのは、なにかぼんやりした「幻影」みたいなものがちらりと頭を過っただけで、言葉でもないし、まして図でも式でもない、なにか関係がありそうな、なにか価値がありそうな、なにか新しそうな、そんな「予感」みたいなものしかない。

“常識というものが、そもそも多数派の価値観にすぎない。

“今すぐどちらかを選んで行動しなければならない場合を除けば、常に両方の意見を持ったまま、裁決をせず保留する方が良い。~新しい情報が入ってくれば、そのつど柔軟に意見を修正する。一度決めたらもうずっとそのまま、という頑固な石頭は、老化といわれてもしかたがないだろう。

“難しかったら、無理にやり遂げなくても良いのではないでしょうか。その方法が自分に合わないから、難しいと感じるわけで~

“お金を貯めるよりも、時間を溜めた方がずっと生活に余裕ができる。~時間の貯金を持っているような状態~これが、本当の「安全」あるいは「安心」というものだろう。

“多くの人たちは、主観的な動機で行動している。主観的というのは、つまり感情的であることにちかい。~けっして悪い事ではない。~しかい、社会においては、他者と少なからず競合する。~お互いに少しずつ譲り合う必要が生じる。~歩み寄る、というのは、お互いが自分を制して、相手に一部を合わせること~そうした時に必要なものは、自分以外の視点でものごとを考えられる能力であり、これが、つまり主観の反対、客観という意味になる。~広い視野を持っていないと、未来を予測することもできない。

“抽象的なものは本質を突いていて、正解に近いものであり、求めるものの正体に近づく指標となる。

“具体的思考が、一本釣りなのに対して、抽象的な思考は、網で漁をするようなもの~

“役に立つことだけに集中したいのであれば、それこそすべて機械化すれば理想の社会になるだろう。しかし、そうではないことを、なんとなく人間は知っているのである。

“人間を大勢集めて、同じ作業をさせようとしたから、「集中しなさい」という方針が生まれたのだ。本来の頭の使い方に逆らった方針といえる。それは、貧しい時代の産物であり、大勢で土地を耕したり、あるいは戦争をしたりするときの人海戦術では不可欠なものだった。今はそういう時代ではない。

“分散思考は、明らかにリラックスしている方が適しているようだ。~海へ行かないと書けないという作家がいたり、酔っ払わないと曲が浮かばないという作曲家がいたりする。~頭をリラックスさせ、集中させないことが、いかに大事な条件であるかを知っているのだろう。分散思考は、分散した行動とも相性が良いから、いろいろなチア権をする。無関係なことに手を出す、といったことも良い条件となるだろう。

“仕事は、生活をするための手段として存在しているだけで、それが生きる目的になる必要はない(もちろん、個人の自由であり、生きる目的にしても良い)。それを、生きることと仕事をすることを同列に考えようと無理をするから、「自分のやりたい仕事ができない」「仕事場が楽しくない」という悩みが大きくなる。仕事に、ライフスタイルを求めすぎている、という錯誤である。

“古くからの固定観念が個人の思考を縛っている。理由もなく、なんとなく、こうでなければならない、それから外れることは悪いことだ、という観念~あなたを縛っているのは、あなたの固定観念なのだ~

“考えていない期間が長く続くと、自分を保持するシステムが自動的に築かれ、そのシステムに支配される。変えられるはずがない、と思い込むことで、安定したつもりになっているのである。

“考えないで、処理と反応ばかりしている人間は、ときどき考えなければならない事態になったとき、まず自分というものに拘る~考えようと集中する先には、自分しかない。自分の立場、自分の願望、自分の生活、自分の都合~それが「考える」ことだと勘違いしているかもしれない。

“単純な人間は、大きな声、強い意見、わかりやすいもの、自分にとって利益があるものに靡く~信頼できる人とは、意見を曲げない人ではない。その場その場で、できる手を打つ人である。現実の手は、けっして理想の手ではない。

 

キーワードとしては、昔から色んなところで言われてる「常識にとらわれるな」とか、「柔軟に多数の視点を持て」とか、そういう話なんだけど、じゃあそれをするにはどうしたらいいのか?ってとこは割と語られていない場合が多く見受けられるけど、この本はその実践方法を示しているから分かりやすい(逆にノウハウ本とかは、実践方法のみで、なんでそれが効果的なのかとかは簡略化されてたりして、これまた身にならない)。

 

個人的には、あんまりお金にならない、意味もないような事に好奇心を持ったり、ふいに海に行ってみたりとかするのが好きで、なんでそんな事するのって言われるとうまく言えないしほっといてよ、って思ってたんだけどその辺り、この本に「それでええんやで」って言ってもらった気がして「やっぱな!!」ってなりました。

まあ結果オーライ的ではあるんだけど、それ含めてこの本に巡り合ったラッキーすら、セレンディピティっていうか引き寄せっていうか、「てきと~に本でもよむか~」って思ったからだし、何かそういうリンクする力?みたいな偶発的な力?みたいのってあるんじゃないかと思いました。なんなら立ち読みで買うかどうか決める時にぱらぱらめくって適当に開いたページに「海に行かないと~」のくだりの一文が目に入って、よし買おうってなりましたし。

あと、蛇足ですが薬の救心の広告で片岡鶴太郎さんのやつで「心が、楽しめと、言っている。」ってのあるけど、分かるわ~って思う。

 

えこさん

やわらかなレタス/江國香織

江國香織が好きで、彼女の作品はだいたい読んでいる。それでもこの本と出会ったとき、わたしは彼女の文章、というよりそもそもその感性に惹かれていたことにようやく気付いた。「きらきらひかる」や「東京タワー」ほど有名ではないけれど、これこそが江國香織の真髄だとわたしは思っている。

ところてんとかめかぶ、ドーナツ、カップ麺のようなありふれたもの。意識しなければただ胃に収められてそれまでのものが、実に瑞々しく、時に官能的に描かれている。変わり映えのしない暮らしのなかに、明日も生きていくための食べ物がある。突き詰めればこれだけのことなんだけど、その見方や感じ方次第で、どこまでもドラマティックになるものだ。

幼い頃の記憶に鮮明に残っている料理とか憧れていたスイーツとか、あのときに食べたあれが最高だった、みたいなのって、きっと誰にでもある。静かに煮物を煮込んでいるときの安心感も、冷蔵庫で新鮮な果物が冷やされているときの高揚感も、異国の地で食べる、いたって普通の食べ物の特別感も。ページをめくるたびにどれも手に取るようにわかるから、もしかしたらこのすてきな感性を、わたしも持ち合わせているんじゃないかと勘違いしてしまう。このままずっと勘違いしていたい。

やわらかなレタス。読み終えたあと、そのタイトルを想う。特別なことはなにもなくて、いたってシンプル。だけどそれはもう上等の、採れたてのやわらかなレタス!ささやかだけど何物にも代え難い歓び。朝起きてすぐ、動物みたいにオレンジを齧る。夜中にコールドミートをこっそりつまむ。わたしのそんな日常さえ、まるごと愛しくなるような。

aさん

「共喰い」田中慎弥

自分に流れる血は父親のものだということを、その疑惑が確信になっていく様を見せつけられる。筆者の想像力も同時に見せつけられる。それは、遠くで誰かが「昔々こんなことがあってね」「この時この人はこういう風に思ってね」というものではない。だからと言って自分に当事者意識が湧き上がるわけでもない。これを読んでいる時、わたしは川辺の汚い街の魚屋で切って捨てられた鰻の内臓、ベタベタした座卓、夏のざらつく床、汗を吸った薄い布団、夕暮れの湿度の高い生ぬるい空気だった。そういう場所から、女を殴りながら抱く主人公の父と痣だらけの顔で微笑む若い女、釣り上げた魚に引っかかった針を抜こうとしながら流れる血や内臓を見て自らの興奮に気が付いてしまう主人公、自分と、憎い男との間にできた息子に「殴ったんか?」と訊く母親。その生活をただ見ている。目をそらすことができないものになって、見せつけられている。嫌悪感と、そしてその中にほんの少しだけの快感を見出す自分のことからは目を逸らそうと必死になりながら。

「女が父のお古なら、自分自身は、一番新しい父だと感じた。」

性について考える時に生と死を切り離すことはできない、逆も然り。それなのに生と死だけを切り取ったものは変に神秘的で運命的で綺麗な言葉で語られる。わたしたちは、父と母が愛し合ってできた子供ではなく父と母がセックスしてできた子供なのに。セックスのこと、性癖のこと、興奮のこと、そういうことを考えると、わたしは綺麗な場所に居続けられない。腐った魚のにおいのする、それはきっと自分の血のにおいに似ているからで、草や花から血は流れないからで、誰かが誰かを恨んで恨んでやっと愛せるようなゴミ溜めみたいな場所が、わたしの下腹部にもあるんじゃないかと思う。
夏の不快指数が上がれば上がるほど、色濃く読める物だと思う。

「産んじょったらあの男の子供になっちょるところいね。その前に引っ掻き出したけえ、うちの子供になったそよ。あんたの時にね、うち一人の子じゃ思うて産んではみたけど、悔しゅうてどうしようもないけど、やっぱり二人の間の子じゃったわ。」

 


 

という感じです。

今回も、普通に本屋行っても巡り合わなかったかもしれない本たちで、部分的に、あなんかこれどっかで関連したやつ見たことあるかも..みたいのもあるけど多分手に取って読まなかったであろう、出会わなかったであろう本たちでした。

 

 

オさんのやつ、オイルサーディンの部分だけでもとりあえず読んでみたい。海外小説って何度かトライした事あるんですけど、かなり言い回しが特徴あるっていうか意味は分かるんだけど、え?みたいの多くないですか。きっと言語に乗せるイメージの量が日本語と違うんだと思う。

 

ちゃんむぎさんのは、鈴木さんって女優さん?モデルさん?的なイメージだったのですが作家、しかもSFの人だったんだっていう。キーワード的には全然古びてないし、表紙の絵の複数の顔がどれも同じってとこがコピペというか無意識集合体というか内田春菊の私達は繁殖している、を想起させるというか..女とは..世の中とは..って考えさせられる。

 

かえれちゃん2020さんのは、まず表紙でひっかかって手に取る事ってあるよねって事、それから内容が自分の境遇とリンクするっていう偶然(必然?)。それらが手に取った時の情景や温度、読んでいる時に口にした料理の情報と合わさって新たなストーリーが描かれるっていう矜持というか旅情というか..

 

くふ王さんのは、めっさ思い入れのある一冊って事で、こういうのって誰しもあるんじゃないかと思ってたけどこういう形で知れてうれしい。海外作品が翻訳者によって色が変わるという話も目にする事はあっても実体験として感じ入った事がないので、やはりそういう好みの差みたいのがあるんだなと。あとこの本ジャケ良いですよね。

 

えこさんの、江國香織って名前はよく見るけど読んだことなかったけど、こういう感じの本も書く人なんだって。それから筆者の感性が、読者の保有する食べ物の記憶を介して、移ってくるというか、本という媒体で共感覚が発生するというか。そう考えると本って共鳴するための(触媒?)装置っていう側面もあるのかなあと思いました。

 

aさんのに至っては、本の中で描かれる感覚が強烈に読者を共犯者とまでは言わないけど物語の一部として否が応でも引きずり込んで一緒にそのむせ返るような力でねじ伏せてくる様が表されている。映画に比べて本は抽象的だから読み手によっては現実以上の、筆者が想像する以上のイメージを召喚してしまうものかもしれない。

 

 

と、

勝手に、こうやって相互的に教えてもらってありがとうございますと思っています。

 

ずっと本って前時代的な、消えてゆく文化なんじゃないのって思ってたけど思い違いだったかもしれないって今は少し思うようになったけど、どうなんでしょうね。どう思いますか?

あと、全体的にネタバレしちゃってたらごめんなさい。

 

ではまた。