(仮晶)ピルクルのまち歩きの記録-播磨坂(文京区)-


 

こんにちは、(仮晶)ピルクルです。

ロロイにゃんにお声がけいただきまして、今回の記事を担当させていただきます。
ロロイにゃんのファンの方ならご存知かと思います、ちょいちょい視界に入ってくるアカウント・・・それがわたくし、(仮晶)ピルクルです。
普通の一般人です。

さあ、行ってきました「播磨坂」

サブタイトルにありますね。
文京区を感じる場所といえば、うんとあるのですが、春らしい場所といえば播磨坂ですね。

04130001

はい、手描きの地図です。
これは迷いようがありませんね。
撮影がWILLCOMのHONEY BEEな上にわたしの字が丸すぎて見づらいですね。
でも迷いませんから、これをプリントアウトして使ってください。
(以下、写真は全てHONEY BEEで撮影しました。)

じつはわたし、茗荷谷駅最寄りに住んでいたことがあります。
茗荷谷はいいですよ~~文京区!私立の学校!物価が高い!古い!新しい!が凝縮されています。
茗荷谷駅から播磨坂までは徒歩5分くらいです。
途中で素敵なお店屋さんたちに吸い込まれなければ、スグの距離です。

04130001

雨だと思ってたのにまさかの晴れ間が・・・!
嫌な予感がしてきました。

04130001

播磨坂、到着
あ~~素晴らしい・・・!
完全に葉桜です。
狙ってました。
桜が満開のシーズンは壮観ですが、観光客が多いので落ち着かない・・・。
葉桜になってしまえば、物思いにふけりながら散歩するのにちょうど良い具合になります。
交通安全週間だからPTAのお母さんたちが交代で旗を持ってますね。
犬の散歩をする人、かわいい老夫婦が一休み、ベンチで本を読む女の子、書類をまとめるサラリーマン・・・のんびりとした、完全に日常の風景です。
ただ、わたしはほぼダッシュでした。
ハトがね。

すごいいっぱい居るんですよ。
すごいんですよ。
いっぱい。

ベンチがある歩道なんて歩けたもんじゃありません。
車道をダッシュするしかありません。

サンドイッチ片手にベンチで休んでいる人がたまに居るのですが、色々大丈夫でしょうか。
いや、スグそばに超レトロサンドイッチ店があるので必然ではありますが、ハトに囲まれ殺される可能性があります。
囲殺です。
播磨坂でサンドイッチを食べたいと思うのなら、深夜か豪雨の日しか叶うまい。

04130001

道沿いに儚く積もる桜の花(車道)。
旅立ち、新しい環境への希望と不安。
あのカフェはまだあるかな・・・。
文豪たちはハトに襲われたことがあるのかな・・・。
そういえばあの人はまだ生きているのかな。
ちょっと涼しい夕方は気持ちいいな・・・。

04130001

ロマンスグレーのサラリーマンがセーブポイントへ。

04130002

自分にゆかりがある数字を探してみたり。

04130001

命がけで撮った歩道の写真

いかがでしたか?
播磨坂ってノスタルジーを感じずにはいられない場所なんですよね。
ここに思い出がなかったとしても。
脳にしまわれている「4月の源泉」に触れてくる感じがあるんです。

緩やかな坂道になっているので、往復するとちょうど良い散歩コースです。
もう少し歩きたい時は、この先の小石川植物園へ。
そういえば、茗荷谷に住んでいたころは会社帰りに散歩してたから、夜だったしハトはいなかったんですよね。

 

~まとめ~

・感じましょう、文京区を
・変な銅像がたくさんあるけどセーブポイントではない
・サンドイッチ等を持ち込むと死ぬ可能性がある
・歩き疲れたらBーぐる(文京区コミュニティバス)に乗って帰ろう

GMoGOD2q

文と写真:(仮晶)ピルクル・・・「文京区在住の普通の主婦。物質が大好きな4次元体」


ロロイです。

この度(仮晶)ピルクルさんにゲストで上記取材レポをお願いした次第です。

普段から神保町や東京ドーム等を中心に良い感じに漂われているのをお見かけしてこれはお願いせねばと思うに至った次第の次第なのです。

文京区という東京における一つのキーエリアにおける播磨坂なのですが、文京区さんのホームページから引用させて頂きますと

第二次大戦後の区画整理でできた「環状3号線」の一部として整備された。
この地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、播磨坂と名付けられた。
昭和35年に坂の舗装が行われた際に、当時の花を植える運動の一つとして桜の木約150本が植えられた。
桜は、地元の人々の手で育てられ、立派な桜並木に成長した。
また、中央部は緑道として整備され、憩いの場となっている。

との事で、桜名所の一つなんですね。

満開の頃はもちろん、あえて今回は葉桜。普段の雰囲気の中、歩くという味..歴史と今..

ちなみに茗荷谷(みょうがだに)という由来なのですが、過去、茗荷の栽培が盛んだったらしく、明暦の大火(1657年。江戸の大半が焼失したとか)以降、武家屋敷や町人が多く住む町になった、と。

火事、どうも日本史上最大とかで、その後防火の一環として広小路と呼ばれる幅の広い道が設置されて今も駅名で「上野広小路」など名前が残っております。

ちなみにこの辺り、小石川と小日向の間のエリアでして、小日向といえば夏目漱石の坊ちゃんのラストで「だから清の墓は小日向の養源寺にある」ってんで、実際に清の墓が実在するっていうんですね。作中の人物なんじゃないのってんですが米山家としてある。

事情としては漱石の同級生の米山さんの祖母の清さんを坊ちゃんに漱石が登場させたからなんですが、どうも元々建築をやろうとしてた漱石に米山さんが「そんなんじゃなくて文学やってみそ」ってアドバイスしたのを感謝してたからって話との事。ちなみに寺は小日向より本駒込との事。

ってな風にその他ざくざくと茗荷谷一体は歴史に彩られたエリアな訳ですが、実際歴史にそんなに興味がある訳ではない教養の無い私としましては、ピルクルさんのレポを経由して「良い坂だな」とシンプルに味わうのが性に合っているといいますか..なんなら播磨と聞いて、さだやす圭の「ああ播磨灘」を想ったりして、播磨灘自体は瀬戸内の海の名前だし、なんで東京にそれが..とか迷っていってしまう訳なんです。きっと播磨坂に実際訪れたとしても同じ事を想う。

んで、播磨坂の由来の松平播磨守、の播磨守ってそもそもなんなのってんで調べてみると、昔の大名の肩書みたいなものみたいです。ただ実際播磨国ってのは兵庫県南部の方の国の名前だったりして、そこの国系の人?のこと?みたいに、ググっても知識が足りなくて判明しませんでしたのでこれは今後の宿題とさせて頂きたい次第です(ちなみに江戸時代にはもう播磨国ってのとはあんまり関係無く一種の名誉職になってた、みたいなインフォもあります)。

ただ、この松平播磨守は正式には「常陸国府中藩 松平播磨守」ってんでそれの初代が松平頼隆さん。水戸黄門の弟さん。その子孫に松平頼孝さんてお方がいるんですが鳥類学者だそうで。めっちゃめちゃ鳥を集めまくってたら破産して家や土地などを売るはめになったというパンクなお方だそうで。んでその息子さんが松平頼則さんで音楽家..スゲエ!

ていうか松平さんとこめちゃ長く続いてるじゃんって事で更にぐぐるとオリジナルは室町時代で、今の愛知県松平町らへんから興ったと。室町時代っていったらあれですよ、めちゃめちゃ昔ですよ。そこら辺のインフォが、今こうしてツイッターを経由してピルクルさん経由で手に入ったっていう「インフォの伝達」っぷりがなかなか面白いなと思う次第でございます。

 

(仮晶)ピルクルさん、改めてありがとうございました!