こんな映画をみた『愛のコリーダ』


こんにちは。huluをやめてAmazonプライムに変更しようかと思案しています。むぎほです。月額で払っているわりには全然みてなかったりするんですよね。なんかもったいない。

と思いつつ、久しぶりに何かみようかと物色していたら最近大島渚作品が多数追加された模様。

青春残酷物語とか、御法度とか愛の亡霊とかもろもろ観ました。その中でも今回は『愛のコリーダ』を取り上げてご紹介したいと思います。

 

愛のコリーダは1976年に発表された「日本初のハードコアポルノ」と銘打たれた作品です。

検閲を避けるため、日仏合作という形で制作されました。プロデューサーは若松孝二とアナトール・ドーマン。コリーダはスペイン語で闘牛を意味する言葉からきているそうです。ちなみにフランス語のタイトルL’Empire des sens(官能の帝国)はロラン・バルトによる日本文化論「L’Empire des signes」(表徴の帝国)からきてるんだとか。

さらにちなみになんですけど、「愛のコリーダ」はその後、歌にもなっちゃってる。クインシー・ジョーンズがカバーしているのでよく知られています。

サテ、愛のコリーダは1936年に起きた阿部定事件を題材にして作られた映画です。阿部定という女性が情夫の男性器を切り落として殺害したという非常にセンセーショナルな事件であります。

定という女性は幼少期からヒステリーのケがあったんだとか。また、初潮前に大学生に強姦され、そこから不良少女となっていったと言われている。芸妓や娼妓として日本の各地を渡り歩き、やがて東京中野にあった吉田屋という料亭で吉蔵と出会う。

不倫関係になった2人は出奔するが、彼女は待合(お仕事の女性がお客と会うところ)で首絞めセックスをして誤ってか意図的にか、恋人を殺してしまう。果ては彼の性器と睾丸を切除する。定はシーツと吉蔵の太ももに「定、石田の吉二人キリ」と書き残し、待合を発つ。

逮捕されるまでの間、彼女は睾丸と性器を新聞紙に包んで持ち歩いていたという。

新聞に掲載された、逮捕時の定は笑顔だった。

 

と、前置きが長くなったが、そんな題材であるからして、もちろん本作もセックスと死のイメージに彩られた非常に過激な作品です。なにせ、「ハードコアポルノ」と銘打たれているだけあって、俳優2人はしっかり「本番行為」を行っているわけです。一般的な映画作品ではまずありえないですよね。通常、「濡れ場」は「しているフリ」ですから。

定演じるのは松田英子。相手の吉蔵を演じるのは藤竜也です。

この2人とも、めちゃくちゃエロチックな場面を演じているのですが、それが不思議といやらしくない。というか、なんか清潔感あるんですよね。なんだかチャーミングで。

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松田英子は情のこもったしなのある喋り方で、ほんとにすっごいセックス大好きそうで、エクボと、している時に身体がほてってピンク色になるのがたまらなくキュート。彼女はこの作品に出た後数本の作品に出演したが、引退してメディアへ姿をほとんど現さなくなったまま、亡くなったとされている。ちょっとミステリアスで謎に包まれたところがあるのが、定の生涯に不思議とダブります。

藤竜也は今でもドラマや映画に出演している俳優ですが、喋り方がなんとも優しいのが素敵です。この映画が全体的に不思議と清潔感があるのは、この藤竜也のたたずまい故ではないかと思うのです。これはもう、恋に落ちる説得力十分です。

サテ、この2人が冒頭で出会うシーン。これは映画史に残る最も美しい「出会い」の場面と言っても過言ではないでしょうか。わたしは震えました。これだけで落涙ものです。

定が働く高級割烹旅館。そこで定は先輩女中と言い合いになります。

そこへ現れる狐のお面をつけたいかにも遊び人で粋な吉蔵。2人はこの瞬間に恋し合うのです。

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どうです。この喧騒からの、2人だけの世界になっていく感じ。正当なラブストーリーの導入じゃないですか。

そこからは流れるように場面が移り変わっていきます。この展開のなんと美しいことでしょうか。2人が惹かれ合い、求め合うスピード感で映画が展開していくのです。まるで絵巻物でもみているようです。

この映画はたしかに、セックスの場面が非常に多く、題材も過激です。しかし、本質にあるのは男と女の、一対の、命をかけた愛の物語だということがわかります。

そして画面構成のすべてが完璧なのです。構図、色合いどこを切り取ってもほんとに美しい。

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この場面とか、ほんとにかっこいい。しびれまくりました。

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また、この映画をみていると日本家屋と、和服の抑制された、禁欲的なイメージと、それが崩れることで立ち現れる淫らさ、エロさに気付かされる。

日本家屋のふすまや障子は簡単に閨を明るみに晒してしまうし、和服は帯を解かずともぺろっとめくるだけで秘部を露わにしてしまう。非常にもろいのだ。これらはエロを表現するにあたって、とても有効なモチーフなのだと気付かされる。

エロとは、隠されているからこそエロいのであって、それがかいま見える瞬間がとくに一番エロいのだということを改めて感じる。

セックスが秘め事であり、隠されるものであるという前提はこの映画に常に通底しているように思う。抑制されたもの、隠されているもの。それがあらわになること。

秘め事はこの映画の中でしばしば誰かの視線にさらされる。

このことは「愛のコリーダ」という作品が「日本初のハードコアポルノ」という看板を背負って立つことを自ら誇示することのようにも思われてくる。

日本で上映されるにあたって、製作者陣はモザイクなどの修正や検閲などの問題を当然作製前から考慮していただろう。「おれたちは人の視線にさらされるポルノを撮る」定と吉のセックスがしばしば女中たちのまなざしを受け止めるのは、こうした制作サイドの気概を反映したもののように思う。

また、セックスと同じくらいこの映画で映されているのが刃物、血あるいは死といったモチーフだ。

そして刃物・血(死)はセックスとセットになって登場する。このことが、観るものにクライマックスに起こるであろう惨劇を常に予想させる。

なにしろ定は吉とのはじめてのセックスで気絶してしまう。

なにかでエクスタシーとは小さな死なのだというのを読んだことがある気がする。元来エクスタシーと死は隣り合わせなのだ。

 

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こうした長襦袢の赤も血を連想させる。

日本家屋の均整のとれた色合いの中に赤が差し色として使われている場面はことさら印象的だ。こうしたカラーリングがとってもうまい。日本家屋と和服を撮らせたら市川崑が一番と思っていましたが、この作品をみて大島渚に軍配があがった。

ラストは知っての通りの結末で終わるのですが、なんというかもう、見終わった後は呆然としてしまいました。

この映画は役者が本番行為を演じているという触れ込みですが、それ以上に、定と吉という実際にいた男女の、本当の壮絶な人生と愛をなぞっているように思えました。その閉じた閨の空間と時間を共有し、なんともぐったりきてしまって、わたしは2日くらい熱にうかされたような、ぼんやりした感じになりました。ようやく、こうして感想を書くことができました。イヤ、ほんとにすごいものをみた。