ブレ写真 -或いはパラレルワールド-


こんにちは、ロロイです。

ブレ写真、第二回目のテーマは「パラレルワールド」です。

ある起点からその後の未来がまったく別のものに分かれていってしまう、という概念ですが、一つの写真がその起点となるんじゃないかという考え方があってもいいと思う。今回もツイッターでお世話になっている皆様からご提供頂いた写真を元とさせて頂きます。
こまんたれ部

こまんたれ部さんより。

なにを撮ったのかすらわからないけど「もしこの写真がきちんと撮れていたらこの写真はキープされてそれがきっかけでこまんたれ部さんは幸せを掴むきっかけを掴んでいたかもしれない」という予測が立つ可能性はゼロではない。例えば好きな女の子と「最近こんな写真が撮れてね」とやる。

それがきっかけで「この人こういう写真を撮るんだ…やさしいな」ってなるかもしれない。実際はその機会は失われてこまんたれ部さんが幸せになるきっかけは別のタイミングへ移行した訳ですが、そうなるとこまんたれ部さんが幸せになるきっかけとなる相手だった人も別の人との幸せを掴む事になり世界はズレていく事になりましたし、その世界線に存在する私たちもズレました。

錠剤ちゃん

錠剤ちゃんさんより。

人物を対象とした写真の最も重要部分である「顔」が喪失されている例。

絵画においてもたまにあえてそうする手法があるかと思うけど写真でそれをやるって面白いと思う。ともあれ偶然その手法が立ち現れた瞬間がデータとして具象化した例。撮るよっつってんのに顔を動かしたのか或いはふいに撮影されたものなのかは定かじゃないですがとにかく顔という情報が失われてしまった。

あたかもあの有名なサモトラケのニケの像のやうに。人が視覚から受け取る情報、特に顔の表情からのものは相当数な訳ですがそれを失った時、私たちの心に残るのは「こうであろう」という個々人のイメージであり、その人数分イメージが誕生する訳ですがこうして世界がまたズレゆくきっかけが生まれたと言える。

咲乱咲乱さんより。

普通に「どうやって撮るの」って聞きたい例。

前に進みながら撮るのか被写体が動けばいいのか。とにかく撮りたくても撮れないのが撮れちゃった例。でも瞳だけは何かを伝えようとしているのが分かる。ブレてても瞳だけは何かを伝えてこようとするのが分かる例。

仮に私がこの撮影者で咲乱さんと近しい関係性があった場合「ああこの人、目力ハンパないわ」って思う事でしょう。そして事あるごとに「咲乱は目力あるから」って口にするかもしれないし、喧嘩してる時だって「やっぱパないわ」って思うかもしれない。この写真で人の印象がガラリと変わってしまう例。

台車X3iAliUQAAXRIc

台車さんより。

誰か分からない例。

逆に気になる例。

言わなくても分かりますよね、これがきっかけで「誰なんだろう」って旅が始まります。そしてああこの人だったのかと判明した時には「どういう人なんだろう」「何枚目なんだろう」生まれは?出身校は?好きな食べ物は?ってなっていきますよね。

ブレてなかったら「こういう力士が存在する」っていう情報だけで止まっていたかもしれない。私たちはこの力士が好きなある地域の名産品を知らずに生きていったやもしれぬ。

 

ブレてないだろうという前提

私たちが世界と呼んでいるものは各自意識が「見たい」或いは「こうであろう」というイメージによって成り立ってると思うのですがブレ写真はそれに大きく作用する。

その理由として「ブレてないだろう」っていう前提が根っこにあるからだと思う。その無意識の予測のもと、撮れた写真を確認した時に「そこにあるはずのものがない」ショックと合わせて「見たこともないもの」に立ち会うショックというダブルの作用によって「こうだよね、こういうはずだよ」っていうのほほんとした「イメージを司る部分」がびっくりする。

ゆらぐ。

ゆらいだ時っていうのは確固たるイメージ管理部分に隙が生じて非常に影響を受けやすい状態になる、という構造だと私は考える。

蟻の穴から堤も崩れる

ということわざがある通り、ちょっとしたミスから予想外の大失敗が引き起こされるって意味だけど、同じ展開で、思いがけないちょっとしたきっかけで大きく世界が変わるっていうのもあると思うしそれがブレ写真って事なのです。

特に撮影行為自体は人間古来の「残したい」気持ちを満たす行為の一つとしてスマホ等の流通により過去に比べて高頻度で行われるものとなった昨今、ブレ写真も同様に比較にならないほど発生しまくってる。普通だったら「またブレちった」で消す所だけど、たまにこちらの心にひっかかるブレ写真があり、それは要注意です。

それを見て「なんていう…なんていうブレなんだ…」って思ったが最後、パラレルワールドの起点にあなたは立っていて、そしてその気持ちは誰とも共有できない個人的心理経験となる訳だし、きっと素敵な方向へ転ぶはずなんだけど奇妙な方向へ進む可能性も孕んでいるし、あなたが変わってしまう事で身近な誰かも変わっていくしその人が変わると他の人も変わる。

大河の一滴

とはいえ、世界中に何億人いると思ってんのって話だしそんなガラっと変わるもんでもないけど偶然が偶然を呼ぶとまったく様変わりしてしまう可能性があるっていう事実が面白くないですか?

またオチが微妙ですよね!?

ごめんなさいね!?

反省しますけどまたやりますね。

ちゃお!

 

p.s. ご写真ご提供してくだすったみなさまがたにこの場をかりて厚く御礼申し上げます…love…